中島国治氏関連馬(其の拾壱)-カミノクレッセ(1987.5.30)-

中島国治氏関連馬

カミノクレッセ 牡 鹿毛 1987.5.30生~2014.7.8没 浦河・昭和牧場 馬主・野上政次氏 栗東・工藤嘉見厩舎

カミノクレッセ(1987.5.30)の4代血統表
アンバーシヤダイ
鹿毛 1977.3.10
種付け時活性値:0.25
ノーザンテースト
栗毛 1971.3.15
Northern Dancer
鹿毛 1961.5.27
Nearctic 1954.2.11
Natalma 1957.3.26
Lady Victoria
黒鹿毛 1962.2.20
Victoria Park 1957.5.10
Lady Angela 1944 ♀
クリアアンバー
黒鹿毛 1967.5.8
★Ambiopoise
鹿毛 1958.5.6
Ambiorix 1946
Bull Poise 1948
One Clear Call
鹿毛 1960.5.21
Gallant Man 1954
Europa 1949
シヨウワロマン
鹿毛 1981.3.2
仔受胎時活性値:1.25
コインドシルバー
黒鹿毛 1974.4.19
種付け時活性値:1.50
Herbager
鹿毛 1956.4.19
Vandale 1943
Flagette 1951
Silver Coin
黒鹿毛 1965.3.10
Never Bend 1960.3.15
Silver Spoon 1956.3.6
ヒデシヤイン
栗毛 1967.3.1
仔受胎時活性値:1.25
ボウプリンス
栃栗毛 1952
種付け時活性値:1.50
★Prince Chevalier 1943
Isabelle Brand 1943
ジヤンダーク
黒鹿毛 1956.5.25
仔受胎時活性値:0.50
シマタカ
鹿毛 1944.2.27
種付け時活性値:0.75
トートレル
黒鹿毛 1949
仔受胎時活性値:1.50

<5代血統表内のクロス:Lady Angela(♀)4×5(父方)、Bull Lea5×5(父方)>

カミノクレッセ(1987.5.30)の0の理論的総括
母父 祖母父 曾祖母父
アンバーシヤダイ
(Northern Dancer系)
コインドシルバー
(Herbager系)
ボウプリンス
(Prince Chevalier系)
シマタカ
(Blandford系)
形相の遺伝 料の遺伝 牝系 母の何番仔?
コインドシルバー
(Lalun)
4.50 甥エアガッツ
(No. 11-e トートレル系)
3番仔
(3連産目)

*

[カミノクレッセの主な競走成績]

  1. 日経新春杯(GII)、ブリーダーズゴールドカップ(現JpnIII)
  2. 天皇賞・春(GI)、宝塚記念(GI)、安田記念(GI)、阪神大賞典(GII)
  3. 天皇賞・秋(GI)、札幌記念(当時GIII、現GII)

通算31戦9勝、2着7回、3着4回。

*

第39回日経新春杯(GII)の結果(上位5頭。馬齢は現年齢表記に合わせる)


馬名 性齢
騎手 走破
時計
着差 上り
4F
馬体重
[前走比]
調教師
1 5 カミノクレッセ 牡5 57 南井克巳 2:15.2 47.1 494
[+8]
工藤嘉見 2
2 1 ホワイトアロー 牡5 57 田原成貴 2:15.5 2 47.2 492
[0]
小野幸治 1
3 4 エリモパサー 牡5 57 猿橋重利 2:15.7 1.1/4 47.8 514
[0]
沖芳夫 8
4 12 ダンディスピリット 牡5 57 加用正 2:15.7 ハナ 47.6 456
[+16]
北橋修二 12
5 7 ナイスナイスナイス 牡6 57 河内洋 2:15.8 1/2 47.6 490
[0]
長浜博之 4

1992年の第39回日経新春杯。カミノクレッセ、満5歳の始動は伝統のGIIから。第104回天皇賞・秋(GI)4位入線3着から3カ月ぶりの実戦、先行策から押し切ってJRA重賞初制覇と共に芝の初勝利を遂げました。サスガの充実ぶりでした。けれど、まさか最後の勝利になってしまうとは……。

*

第40回阪神大賞典(GII)の結果(上位5頭。馬齢は現年齢表記に合わせる)


馬名 性齢
騎手 走破
時計
着差 上り
4F
馬体重
[前走比]
調教師
1 4 メジロマックイーン 牡5 59 武豊 3:13.5 48.9 492
[0]
池江泰郎 1
2 5 カミノクレッセ 牡5 58 南井克巳 3:14.3 5 49.5 496
[+2]
工藤嘉見 2
3 6 ポーカーフェイス 牡6 57 岡潤一郎 3:15.7 9 50.7 484
[-6]
安藤正敏 6
4 3 エリモパサー 牡5 57 猿橋重利 3:15.7 ハナ 51.2 516
[-2]
沖芳夫 4
5 1 ミスターアダムス 牡7 57 本田優 3:16.1 2.1/2 51.3 474
[-2]
星川薫 3

1992年の第40回阪神大賞典。少頭数6頭立ての戦いは、2頭の一騎打ちと見られていました。単勝1.3倍の1番人気馬メジロマックイーン(1987.4.3)と単勝2.6倍の2番人気馬カミノクレッセ。カミノクレッセ、必死に食らいついたものの、結果5馬身差の2着。連続銀メダル走の始まりは、ここからでした。

*

第105回天皇賞・春(GI)の結果(上位5頭。馬齢は現年齢表記に合わせる)


馬名 性齢
騎手 走破
時計
着差 上り
4F
馬体重
[前走比]
調教師
1 5 メジロマックイーン 牡5 58 武豊 3:20.0 48.2 490
[-2]
池江泰郎 2
2 7 カミノクレッセ 牡5 58 田島信行 3:20.4 2.1/2 48.2 498
[+2]
工藤嘉見 4
3 8 イブキマイカグラ 牡4 58 南井克巳 3:21.3 5 48.6 444
[-8]
中尾正 3
4 3 ホワイトアロー 牡5 58 田原成貴 3:21.5 1 49.2 492
[-4]
小野幸治 11
5 14 トウカイテイオー 牡4 58 岡部幸雄 3:21.7 1.1/4 49.7 480
[0]
松元省一 1

1992年の第105回天皇賞・春。「世紀の対決」と目された一戦。無敗の7連勝のトウカイテイオー(1988.4.20)対防衛王者メジロマックイーン。そんなパーソロン(1960)の直系子孫どうしの対決は、両雄並び立たず、「どんなもんだい」とメジロマックイーンが快勝。後を追ったのは、メジロマックイーンと同じ最速の上がり4ハロン48秒2の脚を使って伸びた、カミノクレッセ。前走阪神大賞典の5馬身差を、半分の2と2分の1馬身に詰めたものの、2着に終わりました。

*

第42回安田記念(GI)の結果(上位5頭。馬齢は現年齢表記に合わせる)


馬名 性齢
騎手 走破
時計
着差 上り
3F
馬体重
[前走比]
調教師
1 18 ヤマニンゼファー 牡4 57 田中勝春 1:33.8 36.5 454
[+2]
栗田博憲 11
2 8 カミノクレッセ 牡5 57 南井克巳 1:33.9 3/4 35.8 504
[+6]
工藤嘉見 5
3 2 ムービースター 牡6 57 武豊 1:34.0 クビ 35.8 426
[0]
坪憲章 10
4 14 マルマツエース 牡4 57 的場均 1:34.0 クビ 35.7 526
[+4]
仲住芳雄 12
5 17 ダイナマイトダディ 牡4 57 加藤和宏 1:34.1 1/2 36.1 458
[0]
鈴木康弘 2

1992年の第42回安田記念。芝3200mの天皇賞・春から、半分の距離となった芝1600mの安田記念。チャレンジャーのローテーションで挑んだカミノクレッセ、上がり3ハロン35秒8というメンバー中2番目の鋭脚を繰り出して追い込んだものの、決勝点で0秒1差、先に抜け出して我慢し切った馬がいました。さながら紅顔の美少年、ヤマニンゼファー(1988.5.27)。この安田記念を含めてGI3勝を遂げた名馬でしたが、当時は重賞未勝利どころか芝未勝利という11番人気の伏兵でした。

*

第33回宝塚記念(GI)の結果(上位5頭。馬齢は現年齢表記に合わせる)


馬名 性齢
騎手 走破
時計
着差 上り
4F
馬体重
[前走比]
調教師
1 12 メジロパーマー 牡5 57 山田泰誠 2:18.6 52.2 470
[+2]
大久保正陽 9
2 6 カミノクレッセ 牡5 57 南井克巳 2:19.1 3 52.3 498
[-6]
工藤嘉見 1
3 5 ミスタースペイン 牡4 56 石橋守 2:19.8 4 52.0 486
[+4]
橋口弘次郎 3
4 2 オースミロッチ 牡5 57 松本達也 2:20.6 5 53.8 498
[+4]
中尾正 12
5 3 ダイタクヘリオス 牡5 57 岸滋彦 2:20.6 アタマ 54.0 474
[+2]
梅田康雄 2

1992年の第33回宝塚記念。阪神大賞典、天皇賞・春、安田記念と3走連続2着で臨んだ宝塚記念。「今度こそ」と、ファンはカミノクレッセを単勝2.0倍という1番人気に押しました。けれど、悲しいかな、またもや1頭、先んじた馬がいました。後になって語り継がれるメジロの1987年生まれ世代、3年連続メジロ勢の優勝となった2年目、阪神芝2200mを逃げ切ったのは、メジロパーマー(1987.3.21)。どうしても、どうしても、どうしても。カミノクレッセの前に、1頭だけ立ちはだかったのでした。

*

1992年の春の古馬GI3連戦。カミノクレッセにとっては、メジロマックイーン、ヤマニンゼファー、メジロパーマーと、後で振り返るといずれも複数GIを勝つ馬との勝負となったのは、「不運だった」としか言いようがありません。

けれどそれでも、砂ぼこりも舞った淀芝3200m、当時歴代2位タイの高速決着となった東京芝1600m、今となっては尋常ではない重さの洋芝だった仁川芝2200mと、まったく条件の違うコース、距離のGIレースで、よくぞ3走連続2着と好走を続けられたものです。それは、取りも直さず、カミノクレッセの能力の高さを示しています。

そしてまた、全9勝のうち実は8勝がダート戦であり、当時は牡牝混合だった札幌ダート2400mのブリーダーズゴールドカップを大圧勝しているように、現在のようなダート路線があれば、砂街道の主役だったかも知れません。まま、同期にナリタハヤブサ(1987.4.28)もいましたが^_^;

ともあれ、カミノクレッセ。あの3連続銀メダル走から四半世紀を過ぎた今を以てして、人々の記憶に残る、名脇役でした。

  

それでは、これから走る馬、人すべてに幸多からんことを。

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