カツラノハイセイコ 牡 黒鹿毛 1976.5.13生~2009.10.8没 浦河・鮫川三千男氏生産 馬主・桂土地(株) 栗東・庄野穂積厩舎
ハイセイコー 鹿毛 1970.3.6 種付け時活性値:1.25【5】 |
★ チヤイナロツク 栃栗毛 1953 |
Rockefella 黒鹿毛 1941 |
Hyperion 1930.4.18 |
Rockfel 1935 | |||
May Wong 栗毛 1934 |
Rustom Pasha 1927 | ||
Wezzan 1924 | |||
ハイユウ 黒鹿毛 1961.4.1 |
カリム 鹿毛 1953 |
Nearco 1935.1.24 | |
Skylarking 1947 | |||
ダルモーガン 黒鹿毛 1950.8.12 |
Beau Son 1938 | ||
Reticent 1941 | |||
コウイチスタア 黒鹿毛 1968.4.21 仔受胎時活性値:1.75【7】 |
ジヤヴリン 黒鹿毛 1957 種付け時活性値:0.50【10】 |
Tulyar 黒鹿毛 1949.5.12 |
Tehran 1941 |
Neocracy 1944 | |||
Sun Chariot 黒鹿毛 1939.3.5 |
★Hyperion 1930.4.18 | ||
Clarence 1934 | |||
ミタケ 鹿毛 1960.5.13 仔受胎時活性値:1.75【7】 |
タカクラヤマ 鹿毛 1947.4.12 種付け時活性値:1.00【12】 |
セフト 1932 | |
峰城 1942.4.11 | |||
第三スターリングモアノ一 栗毛 1951.4.17 仔受胎時活性値:2.00【8】 |
★トビサクラ 栗毛 1942.2.23 種付け時活性値:0.00【8】 |
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第三スターリングモア 鹿毛 1944.3.31 仔受胎時活性値:1.50【6】 |
<5代血統表内のクロス:Hyperion4×4、Nearco4×5>
父 | 母父 | 祖母父 | 曾祖母父 |
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ハイセイコー (Hyperion系) |
ジヤヴリン (Bois Roussel系) |
タカクラヤマ (The Tetrarch系) |
★トビサクラ (Blandford系) |
形相の遺伝 | 料の遺伝 | 牝系 | 母の何番仔? |
ハイセイコー |
7.00 (【7】+【7】+【8】+【6】) |
トサモアーと同牝系 (No. 3-l フロリースカツプ系) |
初仔 |
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着 順 |
馬 番 |
馬名 | 性齢 | 騎手 |
走破 時計 |
着差 | 調教師 |
人 気 |
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1 | 7 | カツラノハイセイコ | 牡3 | 松本 善登 | 2:27.3 | 庄野 穂積 | 1 | |
2 | 4 | リンドプルバン | 牡3 | 嶋田 功 | 2:27.3 | ハナ | 見上 恒芳 | 8 |
3 | 17 | テルテンリュウ | 牡3 | 西浦 勝一 | 2:27.7 | 2・1/2 | 土門 健司 | 3 |
4 | 9 | ビンゴガルー | 牡3 | 小島 太 | 2:27.9 | 1・1/4 | 久保田 彦之 | 2 |
5 | 10 | ネーハイジェット | 牡3 | 岩元 市三 | 2:28.1 | 1・1/2 | 布施 正 | 4 |
1979年の第46回東京優駿。父ハイセイコーが成し得なかった東京優駿制覇を達成した孝行息子、カツラノハイセイコ。その勝ち時計2分27秒3は、第41回のコーネルランサー(1971.4.16)の2分27秒4をコンマ1秒破るレースレコードで、父内国産馬の東京優駿制覇は第26回のコマツヒカリ(1956.2.28)以来20年ぶりのことでした。また、鞍上の松本善登騎手は、45歳11ヶ月での東京優駿初制覇となり、騎手の東京優駿の最高齢勝利記録(当時)でもありました。
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着 順 |
馬 番 |
馬名 | 性齢 | 騎手 |
走破 時計 |
着差 | 調教師 |
人 気 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 6 | カツラノハイセイコ | 牡5 | 河内 洋 | 3:20.6 | 庄野 穂積 | 2 | |
2 | 13 | カツアール | 牡5 | 樋口 弘 | 3:20.7 | クビ | 柳田 次男 | 6 |
3 | 9 | メジロファントム | 牡6 | 横山 富雄 | 3:21.5 | 5 | 大久保 洋吉 | 5 |
4 | 7 | リンドプルバン | 牡5 | 小島 太 | 3:21.6 | 3/4 | 見上 恒芳 | 1 |
5 | 11 | サルノヒーロ | 牡5 | 田島 良保 | 3:21.9 | 2 | 中村 好夫 | 14 |
1981年の第83回天皇賞・春。最後の直線、446kgの黒鹿毛に白い頭巾、青の帽子に「海老、袖黄三本輪」の勝負服が馬場中央を鋭く抜け出すと、484kgの黒鹿毛、桃の帽子に「青、茶襷、赤袖」の勝負服が外から迫りました。関西テレビ放送の中継では杉本清アナが「見てくれこの根性!」と叫ばれた決勝点手前、カツラノハイセイコと河内洋騎手、最後まで先頭譲ることなく、カツアール(1976.3.24)と樋口弘騎手を「クビ」だけ抑えきって、天皇賞制覇を遂げました。
*
ハイセイコーの初年度産駒として、父が果たせなかった東京優駿と天皇賞の2大レース制覇を果たしたカツラノハイセイコ。父が500kg超の大柄な馬体であったのに対し、仔は男馬としては比較的小さな450kg程の馬体でしたが、それを補う「負けん気の強さ」が馬一倍でした。
カツラノハイセイコは上述の東京優駿、天皇賞・春のほかにもマイラーズC、目黒記念・秋を制しました。見れば芝1600m、芝2400m、芝3200mの根幹距離において、当時の最上級の重賞をいずれも制しているのですから、カツラノハイセイコ、やはり時代を代表する名馬の一角だったのです。改めてカツラノハイセイコの戦績を辿ると、芝1600mでは[3-2-0-0]と連を外していません。同じ1976年生まれ世代のの名マイラーであるニチドウアラシ(1976.3.20)相手に勝ち負けですから、実はマイル戦の素養も高かったのでしょう。
父ハイセイコーが30歳まで生きたように、仔カツラノハイセイコも33歳まで生きた長命の父系。Hyperion系の特徴とも言える「生命力の高さ」は代を経ても受け継がれ、カツラノハイセイコの代表産駒である名牝ユウミロク(1983.3.26)は、34歳を迎えた2017年現在も存命です。
カツラノハイセイコの東京優駿制覇からやがて38年を迎えようとするいま、その血を受け継いだ子孫は現代も生き残り、人々の記憶の中で線としてつながり続けます。
それでは、これから走る馬、人すべてに幸多からんことを。
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[カツラノハイセイコ(1976.5.13)の主な競走成績]
- 東京優駿、天皇賞・春、目黒記念・秋、マイラーズカップ
- 皐月賞、有馬記念、宝塚記念、スプリングS、サファイヤS
- 京都大賞典、NHK杯
通算23戦8勝、2着7回、3着3回。