スクラムダイナ(1982.3.21)-【1984年】の中央競馬のGI勝ち馬を辿る(No.14)-

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スクラムダイナ 牡 鹿毛 1982.3.21生 白老町・社台フアーム生産 馬主・(有)社台レースホース 美浦・矢野 進厩舎

スクラムダイナ(1982.3.21)の4代血統表
デイクタス
栗毛 1967.4.11
種付け時活性値:1.50【14】
Sanctus
鹿毛 1960.2.28
Fine Top
黒鹿毛 1949.4.12
Fine Art 1939
Toupie 1943
Sanelta
鹿毛 1954
Tourment 1944
Satanella 1941
Doronic
栗毛 1960.3.25
Worden
栗毛 1949.3.7
★Wild Risk 1940
Sans Tares 1939
Dulzetta
栗毛 1954.2.9
Bozzetto 1936
Dulcimer 1946
シヤダイギヤラント
鹿毛 1974.3.20
仔受胎時活性値:1.75【7】
ボールドアンドエイブル
栗毛 1968.4.27
種付け時活性値:1.25【5】
Bold Lad
栗毛 1962.4.23
Bold Ruler 1954.4.6
Misty Morn 1952
Real Delight
鹿毛 1949
Bull Lea 1935.3.11
Blue Delight 1938
ギヤラントノラリーン
黒鹿毛 1963.4.27
仔受胎時活性値:0.50【10】
★Gallant Man
鹿毛 1954.3.20
種付け時活性値:0.00【8】
Migoli 1944.5.8
Majideh 1939
Noralien
青毛 1952
仔受胎時活性値:0.50【10】
Polynesian
黒鹿毛 1942.3.8
種付け時活性値:0.25【9】
Nipmenow
黒鹿毛 1946
仔受胎時活性値:1.25【5】

<5代血統表内のクロス:Mahmoud5×5、Bull Dog5×5(母方)>

スクラムダイナ(1982.3.21)の0の理論的総括
母父 祖母父 曾祖母父
デイクタス
(Fine Top系)
ボールドアンドエイブル
(Bold Ruler系)
Gallant Man
(Bois Roussel系)
Polynesian
(Sickle系)
形相の遺伝 料の遺伝 牝系 母の何番仔?
デイクタス 4.00
(【7】+【10】+【10】+【5】)
ナイキアディライトと同牝系
(No. 1-l)
3番仔
(産駒なし後)

*

1984年の第36回朝日杯3歳S(GI。中山芝1600m)の結果(上位5頭。馬齢は現年齢表記に合わせる)


馬名 性齢 騎手 走破
時計
着差 調教師
1 1 スクラムダイナ 牡2 柴田 政人 1:35.0 矢野 進 4
2 8 ビンゴチムール 牡2 蛯沢 誠治 1:35.3 1・3/4 古賀 末喜 6
3 3 サクラサニーオー 牡2 小島 太 1:35.4 3/4 境 勝太郎 1
4 12 ロードキルター 牡2 根本 康広 1:35.7 1・3/4 橋本 輝雄 2
5 9 サニーファントム 牡2 岡部 幸雄 1:35.9 1・1/4 中尾 銑治 5

中山芝1600m、曇の良馬場、1頭取消で11頭立て。

日本中央競馬会のグレード制導入初年である1984年、現年齢表記2歳の王者を決める2レースがGIとして制定されました。東の朝日杯3歳S(GI)は中山芝1600m、西の阪神3歳Sは阪神芝1600m。古の時代から続いて来た朝日杯3歳S、弊サイトでもなんだかんだ言いながら朝日杯3歳Sの勝ち馬を多く紹介しておりまして、

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メジロベイリー(1998.5.30)
メジロベイリー 牡 黒鹿毛 1998.5.30生~2022.6.28没 伊達市・メジロ牧場生産 馬主・(有)メジロ牧場 栗東・武 邦彦厩舎

21世紀に入ってからの朝日杯フューチュリティSの勝ち馬を除いても、マルゼンスキー(1974.5.19)、メリーナイス(1984.3.22)、サクラチヨノオー(1985.2.19)、アイネスフウジン(1987.4.10)、ミホノブルボン(1989.4.25)、エルウェーウィン(1990.2.24)、ナリタブライアン(1991.5.3)、フジキセキ(1992.4.15)、バブルガムフェロー(1993.4.11)、マイネルマックス(1994.4.13)、グラスワンダー(1995.2.18)、エイシンプレストン(1997.4.9)、メジロベイリー(1998.5.30)らを紹介しています。

という訳で、グレード制導入初回の1984年の朝日杯3歳Sを制したのはスクラムダイナ。11月の東京芝1400mの新馬戦1着、同月の東京芝1600mの白菊賞1着、そして3戦目となった12月の朝日杯3歳S。やはり2戦2勝でここに臨んだ素質馬サクラサニーオー(1982.4.5)、いちょう特別でシリウスシンボリ(1982.3.26)を破りすずかけ賞で連勝を決めてやって来たロードキルター(1982.3.10)、名うての良血トウショウサミット(1982.5.5)等に続く4番人気だったスクラムダイナ。1枠1番から好発を決めると、道中は力を溜めるかのように後方4番手に待機。馬群が冬枯れの中山の芝を滑るようにして三分三厘を過ぎたあたりで、外から進出を始めたスクラムダイナと柴田政人騎手。中山の短い直線に入るとサクラサニーオーとロードキルターが先に抜け出しを図っていましたが、そこに襲い掛かったスクラムダイナ。更に外から差し込んだビンゴチムールと叩き合いになるかに見えた刹那、柴田騎手の右ムチに鋭く反応したスクラムダイナがあっという間に突き放すと、決勝点では1と4分の3馬身差を着けての快勝。スクラムダイナ、3戦3勝。負け無しで朝日杯3歳Sを制すると、後に1984年の優駿賞最優秀3歳(現年齢表記2歳)牡馬に選出されたのでした。

*

朝日杯3歳Sでスクラムダイナの鞍上を務められた柴田騎手は、この1982年生まれ世代はクラシックを狙うお手馬が豊富に揃っていたのです。スクラムダイナ、ドウカンテスコ(1982.4.19)、サザンフィーバー(1982.4.24)、そして1985年の年明けデビューとなったミホシンザン(1982.4.16)。結果的に「名手は名馬を知る」とばかりにミホシンザンへの騎乗となった柴田騎手でしたが、ミホシンザンでスプリングS(GII)を制した時点では

柴田は、下したもののスクラムダイナについて「スクラムダイナも久しぶりにしては、強いレースをしていると思う。この2頭の比較(ミホシンザンとスクラムダイナ)にしても、まだ甲乙つけにくい段階のような気がする[14]」としていた。

ミホシンザン – Wikipedia

と評価されていました。スクラムダイナは皐月賞でもミホシンザンの2着、東京優駿(GI)でもシリウスシンボリの3着とクラシックでも頑張りを見せたのですから、現年齢表記2歳王者の意地は見せてくれたのでした。

 

それでは、これから走る馬、人すべてが無事でありますように。

*

[スクラムダイナ(1982.3.21)の主な競走成績]

  1. 朝日杯3歳S(GI)
  2. 皐月賞(GI)、スプリングS(GII)
  3. 東京優駿(GI)

通算6戦3勝、2着2回、3着1回。

#ミホシンザンが勝ったスプリングSにおいて、増沢末夫騎手に乗り代わったサザンフィーバー。レースは快調に逃げたものの、残り300mあたりで芝に脚を取られて転倒、予後不良となってしまったという悲しい出来事がありました。また、このスプリングSでアクシデントのアオリを受けてしまったブラックスキー(1982.5.12)については、コース、競馬場に対するコンプレックスの例として「血とコンプレックス」でも紹介されていました。

 今でも私は、スプリングSのアクシデントさえなかったら、この年の皐月賞を制したのはブラックスキーだったように思えてならない。直線でブラックスキーにその脚を緩めさせたのは、まぎれもなく前走スプリングSの悪夢だった。

KKベストセラーズ、中島国治著「血とコンプレックス」、P39より-

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