中島国治氏関連馬(其の拾漆)-ホウヨウボーイ(1975.4.15)-

中島国治氏関連馬

ホウヨウボーイ 牡 栗毛 1975.4.15生~1982.5.30没 門別・豊洋牧場生産 馬主・古川嘉治氏 美浦・二本柳俊夫厩舎

ホウヨウボーイ(1975.4.15)の4代血統表
フアーストフアミリー
栗毛 1962.2.24
種付け時活性値:1.00【12】
First Landing
鹿毛 1956.3.7
Turn-to
鹿毛 1951
Royal Charger 1942
Source Sucree 1940
Hildene
鹿毛 1938
Bubbling Over 1923
Fancy Racket 1925
Somethingroyal
鹿毛 1952.3.12
Princequillo
鹿毛 1940
Prince Rose 1928
Cosquilla 1933
Imperatrice
黒鹿毛 1938.5.26
Caruso 1927
Cinquepace 1934
ホウヨウクイン
鹿毛 1969.4.12
仔受胎時活性値:1.25【5】
レアリーリーガル
栃栗毛 1962.2.18
種付け時活性値:1.50【6】
Royal Charger
栗毛 1942
Nearco 1935.1.24
Sun Princess 1937
Fresh Air
栗毛 1954
Fair Trial 1932
Refreshed 1949
豊隼
芦毛 1962.4.21
仔受胎時活性値:1.50【6】
フエリオール
黒鹿毛 1951.3.2
種付け時活性値:0.50【10】
▲Fastnet 1933
Aisse 1939
ダツシングラス
芦毛 1950.4.26
仔受胎時活性値:0.75【11】
ダツシング
芦毛 1935.5.10
種付け時活性値:1.50【14】
第弐フラツシングラス
鹿毛 1935.4.4
仔受胎時活性値:1.50【14】

<5代血統表内のクロス:Royal Charger3×4、Pharos5×5>

ホウヨウボーイ(1975.4.15)の0の理論的総括
母父 祖母父 曾祖母父
フアーストフアミリー
(Turn-to系)
レアリーリーガル
(Royal Charger系)
フエリオール
(Pharos系)
ダツシング
(Sundridge系)
形相の遺伝 料の遺伝 牝系 母の何番仔?
レアリーリーガル 5.00
(【5】+【6】+【11】+【14】)

(No. 1-b フラストレート系)
2番仔
(2連産目)

*

1980年の第25回有馬記念(中山芝2500m)の結果(上位7頭。馬齢は現年齢表記に合わせる)


馬名 性齢 騎手 走破
時計
着差 調教師
1 3 ホウヨウボーイ 牡5 加藤 和宏 2:33.7   二本柳 俊夫 4
2 4 カツラノハイセイコ 牡4 河内 洋 2:33.7 ハナ 庄野 穂積 3
3 2 カネミノブ 牡6 加賀 武見 2:33.8 1/2 阿部 新生 2
4 1 メジロファントム 牡5 横山 富雄 2:34.2 2・1/2 大久保 洋吉 1
5 9 リンドタイヨー 牡3 中島 啓之 2:34.4 1・1/2 見上 恒芳 11
6 12 ユキフクオー 牡5 小島 太 2:34.4 アタマ 古山 良司 10
7 6 ハワイアンイメージ 牡3 増沢 末夫 2:34.4 アタマ 鈴木 勝太郎 8

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1981年の第84回天皇賞(東京芝3200m)の結果(上位5頭。馬齢は現年齢表記に合わせる)


馬名 性齢 騎手 走破
時計
着差 調教師
1 2 ホウヨウボーイ 牡6 加藤 和宏 3:18.9 レコード 二本柳 俊夫 2
2 10 モンテプリンス 牡4 吉永 正人 3:18.9 ハナ 松山 吉三郎 5
3 14 ゴールドスペンサー 牡5 大西 直宏 3:19.7 5 中尾 銑治 6
4 6 アンバーシヤダイ 牡4 郷原 洋行 3:19.9 1 二本柳 俊夫 4
5 15 カツアール 牡5 樋口 弘 3:19.9 アタマ 柳田 次男 1

*

シンザン(1961.4.2)以来となる「2年連続で中央競馬の年度代表馬」に選出されたホウヨウボーイ。19戦11勝、2着5回と抜群の強さを誇った名馬ですが、彼が敗れる時は何故か牝馬が勝つことが多く、「ターフのフェニミスト」「抱擁ボーイ」の異名を取ることになりました。けれど、英雄色を好むのでしょうか、その胆力が試される男馬どうしの争いでは恐るべき勝負強さを見せ、↑に示した2度の八大競走制覇は共に「ハナ」差を制しての勝利でした。

ホウヨウボーイ、現年齢表記3歳時のクラシックは骨折により棒に振りましたが、その素質の高さを信じた名伯楽・二本柳俊夫調教師の忍耐に応え、現年齢表記4歳夏の復帰以降は、その燃えるような赤い栗毛の馬体に炎の闘志を宿して、八大競走2勝を含む重賞4勝の活躍を見せてくれたのでした。

「ターフのフェミニスト」の二つ名に違わず、繁殖の営みも上手であったというホウヨウボーイ。日本でTurn-to系の勢力が増し始めるのは、彼が繁殖生活を送る時期であったのですから、時勢も彼の背中を押していたのです。けれど、ターフを去って僅かに半年後の1982年5月30日、時折しも第49回東京優駿の当日に急死してしまったのでした。JBISの記録によると、種付頭数はサラ系とアラ系を合わせて44頭、生産頭数は32頭、血統登録数は27頭。27頭のうち、ベストボーイ(1983.3.8)が道営記念を、ドントップ(1983.3.27)がゴールドジュニア(笠松)を制しましたが、後が続かず。僅かに1世代を残したのみで、さらなる抱擁を重ねることなく、栗色の駿馬は虹の橋の向こう側に駆けて行きました。

ホウヨウボーイに関しては、全19戦に騎乗された加藤和宏騎手(現調教師)が「無限の可能性を感じさせてくれる馬だった」と述べられていたと、最強ヒストリーにおける、今はもう閲覧できないホウヨウボーイの回にて記載があったように記憶しています。自身に初の八大競走制覇を贈ってくれた名馬に対する賛辞、素晴らしいと思ったものです。それ故に、その可能性を、もっと数多く、次世代につなげて欲しかった。ホウヨウボーイ。

  

それでは、これから走る馬、人すべてに幸多からんことを。

#余談。1980年の第25回有馬記念は、見てみれば、中島国治氏関連馬が上位3頭を占めたという結果だったのですね。そしてまた、白々しく7着まで結果を記しましたが、なんだかんだ言いながら、サスガというところです。

*

[ホウヨウボーイ(1975.4.15)の主な競走成績]

  1. 天皇賞・秋、有馬記念、AJCC、日経賞
  2. 有馬記念、中山記念

通算19戦11勝、2着5回。

http://www.nikkankeiba.co.jp/chuo/jra50/31/31.html
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