ダンスインザダーク(1993.6.5)

Obituary

ダンスインザダーク 牡 鹿毛 1993.6.5生~2020.1.2没 千歳・社台ファーム生産 馬主・(有)社台レースホース 栗東・橋口弘次郎厩舎

ダンスインザダーク(1993.6.5)の4代血統表
サンデーサイレンス
青鹿毛 1986.3.25
種付け時活性値:1.50

Halo
黒鹿毛 1969.2.7
Hail to Reason
黒鹿毛 1958.4.18
Turn-to 1951
Nothirdchance 1948
Cosmah
鹿毛 1953.4.4
★Cosmic Bomb 1944
Almahmoud 1947.5.18 ♀
Wishing Well
鹿毛 1975.4.12
Understanding
栗毛 1963.2.17
★Promised Land 1954.3.31
Pretty Ways 1953.3.21
Mountain Flower
鹿毛 1964.3.23
Montparnasse 1956
Edelweiss 1959.2.15
ダンシングキイ
鹿毛 1983.5.21
仔受胎時活性値:0.25
Nijinsky
鹿毛 1967.2.21
種付け時活性値:1.75
Northern Dancer
鹿毛 1961.5.27
Nearctic 1954.2.11
Natalma 1957.3.26
Flaming Page
鹿毛 1959.4.24
Bull Page 1947
Flaring Top 1947
Key Partner
黒鹿毛 1976.3.26
仔受胎時活性値:1.50
Key to the Mint
鹿毛 1969.3.9
種付け時活性値:1.50
Graustark 1963.4.7
Key Bridge 1959
Native Partner
鹿毛 1966.4.5
仔受胎時活性値:0.25
Raise a Native
栗毛 1961.4.18
種付け時活性値:1.00
Dinner Partner
鹿毛 1959
仔受胎時活性値:1.50

<5代血統表内のクロス:Almahmoud(♀)4×5、Native Dancer5×5(母方)>

ダンスインザダーク(1993.6.5)の0の理論的総括
母父 祖母父 曾祖母父
サンデーサイレンス
(Halo系)
Nijinsky
(Northern Dancer系)
Key to the Mint
(Ribot系)
Raise a Native
(Native Dancer系)
形相の遺伝 料の遺伝 牝系 母の何番仔?
Nijinsky
(ダンシングキイ)
3.50 全姉ダンスパートナー
(No. 7)
7番仔
(7連産目)

*

1996年の第57回菊花賞(GI)の結果(上位5頭。馬齢は現年齢表記に合わせる)


馬名 性齢
騎手 走破
時計
着差 上り
3F
馬体重
[前走比]
調教師
1 17 ダンスインザダーク 牡3 57 武豊 3:05.1 33.8 504
[-2]
橋口弘次郎 1
2 10 ロイヤルタッチ 牡3 57 岡部幸雄 3:05.2 1/2 34.3 448
[-6]
伊藤雄二 6
3 4 フサイチコンコルド 牡3 57 藤田伸二 3:05.2 クビ 34.4 508
[-4]
小林稔 2
4 1 サクラケイザンオー 牡3 57 横山典弘 3:05.5 2 34.8 478
[-4]
境勝太郎 7
5 6 ロングカイウン 牡3 57 角田晃一 3:05.6 1/2 34.5 452
[-4]
長浜博之 8

1996年11月3日に行われた第57回菊花賞。逃げると思われたナムライナズマ(1993.4.12)の出遅れで始まった淀の3000m戦。レースは、前走セントライト記念(GII)を勝利してここに挑んできたローゼンカバリー(1993.6.1)の先導により始まりました。ダンスインザダークは8枠17番から発進して後方6番手の位置にいました。GIIウイナーが作り出した序盤1000mのラップは1分1秒9。ローゼンカバリーは、そこから更にペースを落として、2000m通過時点が2分7秒0。ややスローから中だるみの超スローペースへと転じた中、ダンスインザダークと武豊騎手は内ラチ沿い、先行集団6番手くらいの位置にいました。

京都コースの芝外回りは、4角から最後の直線で、多くの馬が外へ外へと膨らんで行きます。武豊騎手は、外へ膨らんで行く他馬を尻目に、内から抜け出して行こうと考えられていました。けれど、思わぬアクシデントに見まわれました。バテた馬に進路をさえぎられてしまい、馬群の中での位置がどんどん下がって行ったのです。

「ダンス、ピンチ!ダンス、ピンチか!!」。関西テレビの中継では杉本清アナウンサーの絶叫が響いてくる中、先団につけた他の有力馬たちが動き始めた時、ダンスインザダークの姿はそこにはありませんでした。4角を回る時点では後方6番手の位置まで下がっていたのです。それでも、名手は少しも慌てることなく、最短距離を通るために内ラチ沿いに進路を取っていました。

そうして、直線。内から先に抜け出したダービー馬フサイチコンコルド(1993.2.11)を、外側から皐月賞(GI)2着馬ロイヤルタッチ(1993.3.24)が競り落とした、その刹那。桃色の帽子と社台レースホースの勝負服を背にしたダンスインザダークが、そのまた外側から強襲して来ました。直線、少しもスピードを落とすことなく、いつの間にか内から外へ持ち出していました。504kgの大柄な馬体が一歩一歩差を詰めて、ロイヤルタッチを半馬身交わした所がフィニッシュでした。さながら、勝利という名の光を、一瞬にして飲み込んでしまったブラックホール。恐るべしはダンスインザダーク、上がり3ハロンの推定タイムは33秒8の鬼脚。熱発で回避した皐月賞、クビ差で破れた東京優駿(GI)。春の無念を一気に晴らした菊花賞制覇でした。

菊花賞のレース後。その脅威の末脚の代償として、ダンスインザダークが支払ったものは、不治の病「屈腱炎」の発症でした。若武者は人々に感動を与えつつ、同世代のもう1頭の強豪であるバブルガムフェロー(1993.4.11)と一度もまみえることなく、ターフから去って行きました。

*

96年菊花賞馬ダンスインザダーク死す 橋口元調教師「屈腱炎がなかったら…」 | 競馬ニュース - netkeiba
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ダンスインザダーク。通算8戦5勝、2着2回、3着1回。記録上は菊花賞、京都新聞杯(GII)、弥生賞(GII)と重賞3勝ですが、その記録以上に、記憶に残る強い馬でした。

世代を重ねる仕事に就いてからも、自身と同じ菊花賞馬をザッツザプレンティ(2000.5.26)デルタブルース(2001.5.3)スリーロールス(2006.4.26)の3頭、そしてGI善戦の末に安田記念(GI)勝ち馬となったツルマルボーイ(1998.3.5)と、合計4頭のGI馬の父となりました。

種牡馬サンデーサイレンスの2年度産駒の最高傑作だったダンスインザダーク。そのスケールの大きな走りが、まぶたの裏に甦ります。合掌。

  

それでは、これから走る馬、人すべてに幸多からんことを。

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