ミスターシービー(1980.4.7)-【1984年】の中央競馬のGI勝ち馬を辿る(No.10)-

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ミスターシービー 牡 黒鹿毛 1980.4.7生~2000.12.15没 浦河・千明牧場生産 馬主・千明牧場 美浦・松山康久厩舎

ミスターシービー(1980.4.7)の4代血統表
トウシヨウボーイ
鹿毛 1973.4.15
種付け時活性値:1.50【6】
テスコボーイ
黒鹿毛 1963
Princely Gift
鹿毛 1951
Nasrullah 1940.3.2
Blue Gem 1943
Suncourt
黒鹿毛 1952
Hyperion 1930.4.18
Inquisition 1936
ソシアルバターフライ
鹿毛 1957.4.13
Your Host
栗毛 1947
★Alibhai 1938
Boudoir 1938
Wisteria
鹿毛 1948
★Easton 1931
Blue Cyprus 1941
シービークイン
黒鹿毛 1973.2.23
仔受胎時活性値:1.50【6】

トピオ
鹿毛 1964.4.18
種付け時活性値:0.00【8】
Fine Top
黒鹿毛 1949
Fine Art 1939
Toupie 1943
Deliriosa
鹿毛 1956
Delirium 1945
La Fougueuse 1950
メイドウ
鹿毛 1965.6.16
仔受胎時活性値:1.75【7】
アドミラルバード
黒鹿毛 1952
種付け時活性値:1.00【12】
Nearco 1935.1.24
Woodlark 1944
メイワ
栗毛 1958.4.21
仔受胎時活性値:1.50【6】
★ゲイタイム
栗毛 1949
種付け時活性値:0.00【8】
チルウインド
栗毛 1946
仔受胎時活性値:0.75【11】

<5代血統表内のクロス:Hyperion4×5(父方)、Nearco4×5>

ミスターシービー(1980.4.7)の0の理論的総括
母父 祖母父 曾祖母父
トウシヨウボーイ
(Princely Gift系)
トピオ
(Fine Top系)
アドミラルバード
(Nearco系)
ゲイタイム
(Hyperion系)
形相の遺伝 料の遺伝 牝系 母の何番仔?
トウシヨウボーイ
(ソシアルバターフライ)
5.50
(【6】+【7】+【6】+【11】)
母が重賞3勝馬
(No. 9-h チルウインド系)
初仔

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1984年の第90回天皇賞・秋(GI。東京芝2000m)の結果(上位5頭。馬齢は現年齢表記に合わせる)


馬名 性齢 騎手 走破
時計
着差 調教師
1 13 ミスターシービー 牡4 吉永 正人 1:59.3 レコード 松山 康久 1
2 14 テュデナムキング 牡4 的場 均 1:59.4 1/2 大久保 房松 8
3 11 ロンググレイス 牝4 田原 成貴 1:59.5 1/2 小林 稔 7
4 8 トウショウペガサス 牡5 中島 啓之 1:59.5 ハナ 奥平 真治 5
5 7 カツラギエース 牡4 西浦 勝一 1:59.5 ハナ 土門 一美 2

東京芝2000m、晴の良馬場、15頭立て。

日本中央競馬会のグレード制導入初年である1984年、その改革の目玉の1つであったであろう東京芝3200mから東京芝2000mに距離短縮された天皇賞・秋。戦前単勝1.7倍の1番人気に押されたのは、前年の1983年、シンザン(1961.4.2)以来19年ぶりにクラシック三冠を果たしたミスターシービー。15頭立て13番枠、橙の帽子ただ1頭、「緑、黄山形一本輪、白袖」の勝負服を乗せた黒鹿毛の美麗馬は例によって道中最後方から。「独眼竜」キョウエイレア(1979.4.29)が逃げて作ったペースは、実況の白川次郎アナウンサーによりますと、1000m通過が60秒ちょうど。その少し後、馬群が大ケヤキ(本当はエノキ)の向こう側を通り過ぎようとした時、内ラチ側から加速を始めたミスターシービーが見えたところで、観衆がドッと湧きました。当年の10月から運用が開始された東京競馬場に設置の大型映像ディスプレイ装置、今で言う「ターフビジョン」でその姿を捉えたのでしょう。そうして迎えた直線。ラスト300mから200m、先行馬群の内から3頭目にいたカツラギエース(1980.4.24)は外目を見やりながら追い出しを待ち、トウショウペガサス(1979.5.16)、サンオーイ(1980.2.15)も脚を伸ばそうとしていたところを、外からやって来たのが白いハミ釣りも鮮やかにミスターシービー。最後の1ハロンでカツラギエース、トウショウペガサス等との叩き合いに先んじると鞍上の吉永正人騎手の左ムチに応え続け、さらに外から追い込んだテュデナムキング(1980.6.4)、ロンググレイス(1980.4.17)を「2分の1馬身」ずつ抑えて飛び込んだのが決勝点。東京芝2000mで刻まれた時計は1分59秒3のコースレコード。ミスターシービー、皐月賞、東京優駿、菊花賞に続いて天皇賞・秋で八大競走4勝目を遂げたのでした。

父トウショウボーイは東京芝2000mで行われた皐月賞を2分1秒6でレースレコード勝ち、母シービークインは東京芝2000mで行われた毎日王冠を2分0秒2でコースレコード勝ち。そして仔ミスターシービーは東京芝2000mで行われた天皇賞・秋を1分59秒3のコースレコード勝ち。父、母、仔で刻んだ東京芝2000mでのレコード勝ち。

ミスターシービー、まさに「東京芝2000mの申し子」でした。

トウシヨウボーイ(1973.4.15)-TTGの生誕50年に寄せて(No.1)-
トウシヨウボーイ(1973.4.15)-TTGの生誕50年に寄せて(No.1)-

*

ミスターシービーの紹介も今回で3回目となり、弊サイトがお届けするミスターシービーに関する最後の記事になろうかと思います。という訳で「東京芝2000mの申し子」をこの世に送り出してくれた母堂の4代血統表を併せて記しておきます。

シービークイン 牝 黒鹿毛 1973.2.23生~2004.1.10没 千葉県・千明牧場生産 馬主・千明牧場 東京・松山吉三郎厩舎

シービークイン(1973.2.23)の4代血統表

トピオ
黒鹿毛 1964.4.18
種付け時活性値:0.00【8】
Fine Top
黒鹿毛 1949.4.12
Fine Art
鹿毛 1939
Artist’s Proof 1926
Finnoise 1930
Toupie
黒鹿毛 1943
Vatellor 1933
Tarentella 1934
Deliriosa
鹿毛 1956
Delirium
栗毛 1945
★Panorama 1936
Passed Out 1935
La Fougueuse
鹿毛 1950
Admiral Drake 1931
La Foux 1935
メイドウ
鹿毛 1965.6.16
仔受胎時活性値:1.75【7】
アドミラルバード
黒鹿毛 1952
種付け時活性値:1.00【12】
Nearco
黒鹿毛 1935.1.24
Pharos 1920.4.4
Nogara 1928
Woodlark
鹿毛 1944
★Bois Roussel 1935
Aurora 1936
メイワ
栗毛 1958.4.21
仔受胎時活性値:1.50【6】
★ゲイタイム
栗毛 1949
種付け時活性値:0.00【8】
Rockefella 1941
Daring Miss 1939
チルウインド
栗毛 1946
仔受胎時活性値:0.75【11】
Wyndham
栗毛 1933
種付け時活性値:1.00【12】
Heart of Midlothian
栗毛 1942
仔受胎時活性値:0.75【3】

<5代血統表内のクロス:Vatout5×5×5、Blenheim5×5、Plucky Liege(♀)5×5、Hyperion5×5(母方)>

シービークイン(1973.2.23)の0の理論的総括
母父 祖母父 曾祖母父
トピオ
(Fine Top系)
アドミラルバード
(Nearco系)
ゲイタイム
(Hyperion系)
Wyndham
(Blenheim系)
形相の遺伝 料の遺伝 牝系 母の何番仔?
アドミラルバード
(Aurora)
4.75
(【7】+【6】+【11】+【3】)
大叔父メイズイ
(No. 9-h チルウインド系)
2番仔?

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1977年の第28回毎日王冠(東京芝2000m)の結果(上位5頭。馬齢は現年齢表記に合わせる)


馬名 性齢
騎手 走破時計
・着差
調教師
1 3 シービークイン 牝4 54 吉永 正人 2:00.2 松山 吉三郎 6
2 8 トウフクセダン 牡4 57 宮田 仁 ハナ 大久保 末吉 2
3 5 カーネルシンボリ 牡6 59 柴田 政人 4 黒坂 洋基 4
4 6 カシュウチカラ 牡4 58 出口 明見 アタマ 矢倉 玉男 1
5 13 スーパーフイルド 牡4 57 小島 太 3/4 高木 良三 5

毎日王冠では、カシュウチカラ、カーネルシンボリといった牡馬の一線級を相手に逃げ粘りを見せると、直線では一旦交わされたトウフクセダンをゴール前で差し返すという内容で、2度目の重賞制覇。走破タイム2分0秒2は、東京競馬場・芝2000mのコースレコードであった。

(中略)

吉永も「シービークインという馬は、懐かしいとか、思い出に残るとかいった馬ではなく、僕たちの人生にとけ込んできた馬です」と語っている。後に吉永とみち子は結婚。シービークインが毎日王冠に優勝したのは結婚式の2週間前であった。

シービークイン – Wikipedia

吉永正人さんの僕たちの人生にとけ込んできた馬という表現がとても素敵に思います。その人生にとけ込んできた馬が唯1頭だけ残した仔どもがミスターシービー。やはりミスターシービーも吉永さんの人生にとけ込んだ馬だったでしょう。シービークインとミスターシービー、共に黒鹿毛で美しく澄んだ瞳を持った母と息子は、終の棲家で再会するという滅多にない馬生を送ったのでした。

ミスターシービーは希有な最期を辿った馬でもありました。サラブレッドの場合、離乳後の母馬と牡の仔は、ふつう、2度と相見えることがないものです。

けれど、ミスターシービーは、種牡馬引退後の1999年に繋養された千明牧場の三里塚分場で、19年ぶりに母と対面を果たし、隣同士の放牧地で共に草を食んでいたのでした。

母26歳、仔19歳。姿のよく似た母仔、去来したものがあったのでしょうか。馬の身ならぬ私には、もちろん分かりません。

それでも、母仔互いに「幸せであった」と信じたいものです。

JRAさんが三冠動画をアップされていましたので-ミスターシービー(1980.4.7)- | 雪の家雑記帳

 

それでは、これから走る馬、人すべてが無事でありますように。

*

[ミスターシービー(1980.4.7)の主な競走成績]

  1. 東京優駿、皐月賞、菊花賞、天皇賞・秋(GI)、弥生賞、共同通信杯4歳S
  2. サンケイ大阪杯(GII)、毎日王冠(GII)
  3. 有馬記念(GI)

通算15戦8勝、2着3回、3着1回。

[シービークイン(1973.2.23)の主な競走成績]

  1. 毎日王冠、サンケイスポーツ賞4歳牝馬特別、京王杯スプリングH
  2. 東京新聞杯
  3. 優駿牝馬

通算22戦5勝、2着2回、3着4回。

#シービークインが制した毎日王冠には、もう1頭、後に天皇賞・秋勝ち馬を送り出す牝馬が出走していました。新潟記念を制して臨んだ毎日王冠では9着だったミトモオー(1971.4.2)、その愛息子の名前はプレクラスニー(1987.6.10)

JRAさんが三冠動画をアップされていましたので-ミスターシービー(1980.4.7)-
ミスターシービー 牡 黒鹿毛 1980.4.7生~2000.12.15没 浦河・千明牧場生産 馬主・千明牧場 美浦・松山康久厩舎
ミスターシービー(1980.4.7)-三冠馬を辿る(No.3)-
ミスターシービー 牡 黒鹿毛 1980.4.7生~2000.12.15没 浦河・千明牧場生産 馬主・千明牧場 美浦・松山康久厩舎
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