マルゼンスキー 牡 鹿毛 1974.5.19生~1997.8.21没 早来町・橋本牧場生産 馬主・橋本 善吉氏 美浦・本郷 重彦厩舎
Nijinsky 鹿毛 1967.2.21 種付け時活性値:1.50【6】 |
Northern Dancer 鹿毛 1961.5.27 |
Nearctic 黒鹿毛 1954.2.11 |
Nearco 1935.1.24 |
Lady Angela 1944 | |||
Natalma 鹿毛 1957.3.26 |
Native Dancer 1950.3.27 | ||
Almahmoud 1947.5.18 | |||
Flaming Page 鹿毛 1959.4.24 |
Bull Page 鹿毛 1947 |
Bull Lea 1935.3.11 | |
Our Page 1940 | |||
Flaring Top 栗毛 1947.3.27 |
Menow 1935.5.19 | ||
Flaming Top 1941 | |||
シル 鹿毛 1970.4.22 仔受胎時活性値:0.75【3】 |
Buckpasser 鹿毛 1963.4.28 種付け時活性値:1.50【6】 |
Tom Fool 鹿毛 1949.3.31 |
Menow 1935.5.19 |
Gaga 1942 | |||
Busanda 青毛 1947 |
War Admiral 1934.5.2 | ||
Businesslike 1939 | |||
Quill 栗毛 1956.2.24 仔受胎時活性値:1.25【13】 |
Princequillo 鹿毛 1940 種付け時活性値:1.75【15】 |
Prince Rose 1928 | |
Cosquilla 1933 | |||
Quick Touch 栗毛 1946 仔受胎時活性値:0.25【9】 |
Count Fleet 黒鹿毛 1940.3.24 種付け時活性値:1.25【5】 |
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Alms 栗毛 1936 仔受胎時活性値:0.25【9】 |
<5代血統表内のクロス:Menow4×4、Bull Dog5×5、Blue Larkspur5×5>
父 | 母父 | 祖母父 | 曾祖母父 |
---|---|---|---|
Nijinsky (Northern Dancer系) |
Buckpasser (Tom Fool系) |
Princequillo (Prince Rose系) |
Count Fleet (Sundridge系) |
形相の遺伝 | 料の遺伝 | 牝系 | 母の何番仔? |
Princequillo (シル) |
2.50 |
祖母が活躍馬 (No. 5-g) |
初仔 |
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着 順 |
馬 番 |
馬名 | 性齢 | 斤量 | 騎手 |
走破 時計 |
着差 | 調教師 |
人 気 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 6 | マルゼンスキー | 牡2 | 54 | 中野渡清一 | 1:34.4 | レコード | 本郷重彦 | 1 |
2 | 1 | ヒシスピード | 牡2 | 54 | 小島太 | 1:36.6 | 大 | 高木良三 | 2 |
3 | 4 | キクアサジロウ | 牡2 | 54 | 安田富男 | 1:37.2 | 3.1/2 | 加藤朝治郎 | 5 |
4 | 5 | インタースペンサー | 牡2 | 54 | 大崎昭一 | 1:37.4 | 1.1/4 | 柴田寛 | 6 |
5 | 2 | ソーウンムサシ | 牡2 | 54 | 加賀武見 | 1:37.5 | アタマ | 阿部正太郎 | 4 |
6 | 3 | アローバンガード | 牡2 | 54 | 柴田政人 | 1:38.8 | 8 | 高松三太 | 3 |
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着 順 |
馬 番 |
馬名 | 性齢 | 斤量 | 騎手 |
走破 時計 |
着差 | 調教師 |
人 気 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | マルゼンスキー | 牡3 | 58 | 中野渡清一 | 1:51.4 | 本郷重彦 | 1 | |
2 | 6 | プレストウコウ | 牡3 | 57 | 安田富男 | 1:52.5 | 7 | 加藤朝治郎 | 2 |
3 | 4 | インタースペンサー | 牡3 | 56 | 大崎昭一 | 1:52.8 | 2 | 柴田寛 | 3 |
4 | 5 | ミホノカイシン | 牡3 | 55 | 吉沢宗一 | 1:53.5 | 4 | 佐藤正二 | 6 |
5 | 3 | リスボンシチー | 牡3 | 55 | 柴崎勇 | 1:53.6 | アタマ | 矢倉玉男 | 7 |
6 | 7 | ブルーハンサム | 牡3 | 55 | 東信二 | 1:54.0 | 2.1/2 | 佐藤勝美 | 4 |
7 | 1 | セキヤジョウ | 牡3 | 55 | 菅野昭夫 | 1:54.6 | 3.1/2 | 富田六郎 | 5 |
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着 順 |
馬 番 |
馬名 | 性齢 | 斤量 | 騎手 |
走破 時計 |
着差 | 調教師 |
人 気 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 4 | マルゼンスキー | 牡3 | 54 | 中野渡清一 | 1:10.1 | レコード | 本郷重彦 | 1 |
2 | 5 | ヒシスピード | 牡3 | 54 | 小島太 | 1:11.7 | 10 | 高木良三 | 2 |
3 | 3 | ヤマブキオー | 牡7 | 55 | 蓑田早人 | 1:11.8 | 3/4 | 森末之助 | 3 |
4 | 2 | ヨシオカザン | 牝3 | 52 | 領家政蔵 | 1:12.8 | 6 | 田中良平 | 4 |
5 | 1 | アータルオー | 牡3 | 54 | 簗田善則 | 1:13.0 | 1.1/4 | 小野留嘉 | 5 |
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「カンテレ競馬【公式】さんの良い仕事に乗る」シリーズ、今回のマルゼンスキーはカンテレ競馬【公式】さんにおける動画の公開予定のサムネイルを見て「えっ!?」と思わず叫んでしまいました。そして朝日杯3歳Sの動画を拝見して、改めて「本当に良い仕事」と思いました。有り難うございます、関西テレビ放送さん(^^)
「夢のスーパー・カー」マルゼンスキー。その血統表を開いてみれば当時の日本馬とは一線を画しますが、なにしろ、とにかく走りがケタ違い。現年齢表記2歳時の1976年。なんですのん、朝日杯3歳Sの走りぶり。調教で初めて一杯に追われたという一戦は、2着のヒシスピード(1974.2.22)に2秒2差、着差にして13馬身差という大差の大圧勝(!!)。中山芝1600mで刻んだ1分34秒4はコーネルランサー(1971.4.16)が持っていた1分34秒6を破る当時の2歳日本レコード。現年齢表記3歳時の1977年。日本短波賞では3角で1回ブレーキを踏んだのに「あれ、ここゴールじゃなかったの? ごめん、ごめん」とばかりにもう1度加速すると、秋には菊花賞をレコードで制するプレストウコウ(1974.4.14)を7馬身置き去り(!!!)。そうして、結果的に引退レースとなった札幌ダート1200mの短距離Sでは三度の対戦となったヒシスピードに10馬身差を着けて1分10秒1のレコード勝ち……。生涯無敗のマルゼンスキー、8戦8勝、その着差合計は61馬身(!!!!)
マルゼンスキーと同じ1974年生まれ世代には世界に名だたるSeattle Slew(1974.2.15)、The Minstrel(1974.3.11)、Blushing Groom(1974.4.8)、Alleged(1974.5.4)等がいます。およそ半世紀近く前の世代であるものの、弊サイトで記事にしている馬が3頭もいる時点で強い印象を残す世代であることが伺えますが、もしマルゼンスキーが米国で走っていたらSeattle Slewの三冠は危うかったかも知れず、欧州で走っていたらThe MinstrelやAllegedの活躍も控えめなものになっていたかも知れず。種牡馬Nijinskyの最高傑作は世界的にはラムタラ(1992.2.2)の声が上がると思いますけれど、私はマルゼンスキーであったと信じてやみません。
マルゼンスキーは種牡馬としてサクラチヨノオー(1985.2.19)、ホリスキー(1979.4.13)、レオダーバン(1988.4.25)、スズカコバン(1980.3.16)、ニシノスキー(1980.4.1)等を輩出。そしてまたブルードメアサイアーとしてもライスシャワー(1989.3.5)、ウイニングチケット(1990.3.21)、スエヒロジョウオー(1990.4.16)、メジロブライト(1994.4.19)、スペシャルウィーク(1995.5.2)、プリモディーネ(1996.4.5)、メジロベイリー(1998.5.30)、ムガムチュウ(1998.2.26)、ボンネビルレコード(2002.3.12)等を輩出しました。むぅ、振り返れば記事にしているマルゼンスキーの血を引く馬の多さよ^^;
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そんなマルゼンスキー。「育ての父」とも言うべき橋本善吉氏とのエピソードを引いて、本稿の結びといたします。
「あなたがマルゼンスキーから教えられた最大のものはなんですか」と尋ねたとき、橋本さんは一瞬のためらいもなく「それは愛情だ」と答えた。幼いマルゼンスキーへの橋本さんの愛が、終生変わらぬ橋本さんへの信頼となって返ってきた、というのである。
まだほんの幼かったころ、マルゼンスキーが、執拗な下痢に悩まされたことがあった。(略)ボロをするたびに下痢が伴い、肛門の炎症がひどくなった。このままではただれて痛いに違いないと察した橋本さんは、マルゼンスキーが下痢をするたびにバケツでお湯を運び、汚れのこびりついたところを洗ってやることにした。下痢はやまない。下痢はやまないが、マルゼンスキーの挙動には、日を追うごとに、はっきりと橋本さんへの信頼の情が濃くなった。(略)
このコミュニケーションを契機にして、終生マルゼンスキーは橋本さんに信頼の情を寄せ続けて変わることがなかった。
「あれは利口なウマだった」と橋本さんがいった。「あんなちっぽけな愛を恩に着て、あれは、死ぬまで私に信頼を寄せ続けてくれた…」
–月刊『優駿』、1997年11月号P114、藤野広一郎著「マルゼンスキーに憑かれた男-『波瀾万丈』の愛馬行進曲(上)」より-
それでは、これから走る馬、人すべてに幸多からんことを。
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[マルゼンスキー(1974.5.19)の主な競走成績]
- 朝日杯3歳S、日本短波賞
通算8戦8勝。
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