ケイキロク(1977.4.28)-自分と同じ年に生まれた馬を辿る(No.5)-

ケイキロク (Kei Kiroku) | 競走馬データ - netkeiba https://db.netkeiba.com/horse/1977100387/ Series
ケイキロク (Kei Kiroku) | 競走馬データ - netkeiba https://db.netkeiba.com/horse/1977100387/

ケイキロク 牝 鹿毛 1977.4.28生~2011.5.24没 千葉県・東牧場生産 馬主・内田 敦子氏 栗東・浅見 国一厩舎

ケイキロク(1977.4.28)の4代血統表
ラデイガ
鹿毛 1969.5.18
種付け時活性値:1.75【7】
Graustark
栗毛 1963.4.7
Ribot
鹿毛 1952.2.27
Tenerani 1944
Romanella 1943
Flower Bowl
鹿毛 1952
Alibhai 1938
Flower Bed 1946
Celia
黒鹿毛 1960.4.3
Swaps
栗毛 1952.3.1
★Khaled 1943
Iron Reward 1946
Pocahontas
黒鹿毛 1955.2.19
Roman 1937
How 1948
ケイスパーコ
芦毛 1970.3.3
仔受胎時活性値:1.50【6】
キノー
栗毛 1958.2.21
種付け時活性値:0.75【11】
Helioscope
鹿毛 1951
Heliopolis 1936
War Flower 1938
Rivaz
鹿毛 1943
Nearco 1935.1.24
Mumtaz Begum 1932
シルヴアーフアー
芦毛 1962
仔受胎時活性値:1.75【7】
Abernant
芦毛 1946
種付け時活性値:1.75【15】
Owen Tudor 1938
Rustom Mahal 1934
Moyo
芦毛 1956
仔受胎時活性値:1.25【5】
Tourment
鹿毛 1944
種付け時活性値:0.75【11】
Fragrant Nymph
芦毛 1950
仔受胎時活性値:1.25【5】

<5代血統表内のクロス:Hyperion5×5×5×5、Beau Pere5×5(父方)、Mumtaz Mahal(♀)5×5(母方)>

ケイキロク(1977.4.28)の0の理論的総括
母父 祖母父 曾祖母父
ラデイガ
(Ribot系)
キノー
(Hyperion系)
Abernant
(Owen Tudor系)
Tourment
(Tourbillon系)
形相の遺伝 料の遺伝 牝系 母の何番仔?
ラデイガ 5.75
(【6】+【7】+【5】+【5】)
母がCBC賞の勝ち馬
(No. 1-w)
初仔

*

1980年の第41回優駿牝馬(東京芝2400m)の結果(上位5頭。馬齢は現年齢表記に合わせる)


馬名 性齢 騎手 走破
時計
着差 調教師
1 10 ケイキロク 牝3 岡部 幸雄 2:32.3 浅見 国一 10
2 5 リックサンブル 牝3 加賀 武見 2:33.1 5 庄野 穂積 6
3 9 ミヨウガミネ 牝3 河内 洋 2:33.5 2・1/2 武田 作十郎 13
4 3 ジュウジアロー 牝3 安田 富男 2:33.9 2・1/2 加藤 朝治郎 3
5 7 タマモコトブキ 牝3 田島 良保 2:34.0 1/2 吉永 猛 5

ケイキロクのキロク、もとい記録を辿りますと、現年齢表記2歳夏の小倉の新馬戦8着から挑んだ小倉3歳Sで6着、そして休養明けとなった暮れの中京の葉牡丹賞で初勝利という戦歴を持っています。未勝利戦を走らせなかった伯楽・浅見国一師、自身が管理しCBC賞の勝ち馬となったケイスパーコの初仔に、期待するところがあったのでしょう。

明けた3歳。牡牝混合の京都4歳特別3着から挑んだレースが第41回優駿牝馬。浅見厩舎からは同馬主の2頭出しとなり、主戦的存在であった武邦彦騎手は同じ東牧場の生産で同じ父ラディガのケイシャープ(1977.4.29)に騎乗することになった為、浅見師はケイキロクの鞍上として岡部幸雄騎手に白羽の矢を立てられると、レースの当日になってケイキロクに初騎乗となった岡部騎手、見事なエスコートを見せられました。レース前までの雨が残した重馬場の一戦、直線で多くの馬人が外々を回る中、ケイキロクと岡部騎手は先に抜け出していたリックサンブル(1977.3.8)と加賀武見騎手を目掛けるようにして内を突き、ラスト200mで先頭に立つと後は独走となり決勝点では5馬身差の大楽勝。422kgの小柄な鹿毛の馬体に赤い頭巾のケイキロク、黄色の帽子に「白、青星散」の勝負服をまとった岡部騎手を背に、クラシックホースの栄冠を蹄中に収めたのでした。

確認してみれば、第41回優駿牝馬が行われた日付は1980年5月18日。その日はケイキロクの父であるラディガ満11歳の誕生日でした。ケイキロクの生産者である東牧場・出羽龍雄氏の談話から引いておきますと、

「母のケイスパーコも当牧場の生産馬で、オークスにも出走した馬でした。そのときはシンガリ負けでしたが、4歳になってCBC賞を勝ってくれました。ケイキロクは、その初仔です」という。ケイスパーコの父キノーは出羽さんの父親卓次郎さんが輸入し、ラディガは龍雄さんが購入を決めた。ケイキロクは出羽ファミリーのホームブレッドホースなのだ。

ケイキロクが死亡 | 馬産地ニュース | 競走馬のふるさと案内所

第41回優駿牝馬は、母がシンガリに敗れたレースを娘が1着で仕返した、という図式でもあったのですね。父の誕生日を祝い、母の無念を晴らしたケイキロク。父母にとって、まさに愛娘だったのでしょう。そしてまた東牧場さんにとっても、初めてのクラシック勝利が父子2代の導入種牡馬の血が流れている馬によるものだったというのは、とても嬉しいことだったでしょう。

時は駆け、血は巡ります。

*

ケイキロクと言いますと、彼女の長寿に触れない訳にはいけません。晩年は最長寿クラシック勝ち馬として過ごしていましたが、エリンコート(2008.3.10)が制した2011年の第72回優駿牝馬を見届けるかのようにして、その2日後に逝きました。

2011年5月24日に老衰で永眠。満34歳と26日の大往生でした。

ケイキロクが小さな身体に秘めた、大きな生命力。

その生命力のDNAを受け継いだ子孫が、また大舞台で活躍してくれることを、心から祈りたいと思います。

 

それでは、これから走る馬、人すべてが無事でありますように。

[ケイキロク(1977.4.28)の主な競走成績]

  1. 優駿牝馬、中京記念
  2. 京都記念・春、阪急杯、小倉大賞典
  3. 阪神牝馬特別、京都4歳特別

通算27戦4勝、2着4回、3着3回。

#ケイキロクの近親にはユーセイフェアリー(1987.3.23)ナリタタイシン(1990.6.10)姉弟がいますけれど、この姉弟も小柄な馬たちでした。ユーセイフェアリーが阪神牝馬特別(GIII)を制した折は414kg、ナリタタイシンが皐月賞(GI)を制した折は426kg(=皐月賞史上最軽量勝利)。小さな馬が活躍する血統、ということなのでしょうか。アズマハンター(1979.2.11)の仔ユーセイフェアリーは、中島国治氏の配合馬でもありました。

##ケイキロクの長寿を上回った同期生はメジロチェイサー(1977.3.2)でした。彼女は2011年10月2日に満34歳7ヶ月で亡くなりました。メジロチェイサーはメジロティターン(1978.3.22)の半姉にしてメジロフルマー(1984.5.3)、メジロライアン(1987.4.11)姉弟の母ですね。思えばアンバーシャダイ(1977.3.10)との仔であるメジロライアンは、同期生どうしのカップルにより送り出されたGI勝ち馬でした。

###浅見国一厩舎の冠名「ケイ」の馬というと、ケイウーマン(1990.2.13)を思い出すのですが、彼女が制した京都4歳特別当日は1993年5月9日。その父ラストタイクーン(1983.5.9)、10歳の誕生日でした。懐かしの逃げ切り勝ち、鞍上は武豊騎手。ケイウーマンも2023年3月20日に満33歳1ヶ月と7日で亡くなった長寿馬でした。

 

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