Princess Rooney(プリンセスルーニー) 牝 芦毛 1980.3.22生~2008.10.7没 米国・Ben & Tom Roach生産 馬主・Paula J. Tucker 米国・Neil D. Drysdale厩舎
Verbatim 黒鹿毛 1965.2.10 種付け時活性値:1.50【14】 |
Speak John 鹿毛 1958.2.7 |
Prince John 栗毛 1953.4.6 |
Princequillo 1940 |
Not Afraid 1948 | |||
Nuit de Folies 鹿毛 1947 |
Tornado 1939 | ||
Folle Nuit 1940 | |||
Well Kept 鹿毛 1958 |
Never Say Die 栗毛 1951.3.26 |
Nasrullah 1940.3.2 | |
Singing Grass 1944 | |||
Bed o’ Roses II 鹿毛 1950 |
Preciptic 1942 | ||
Pasquinade 1940 | |||
Parrish Princess 芦毛 1971.3.30 仔受胎時活性値:2.00【8】 |
Drone 芦毛 1966.4.1 種付け時活性値:1.00【4】 |
Sir Gaylord 黒鹿毛 1959.2.12 |
Turn-to 1951 |
Somethingroyal 1952.3.12 | |||
Cap and Bells 芦毛 1958.5.21 |
★Tom Fool 1949.3.31 | ||
Ghazni 1942 | |||
Puzzesca 鹿毛 1962.2.4 仔受胎時活性値:2.00(0.00)【8】 |
Law and Order 鹿毛 1956.4.7 種付け時活性値:1.25【5】 |
Nasrullah 1940.3.2 | |
In Bloom 1944 | |||
Refurbish 鹿毛 1954.4.17 仔受胎時活性値:1.75【7】 |
Bold Venture 栗毛 1933 種付け時活性値:1.00【20】 |
||
Renew 黒鹿毛 1947 仔受胎時活性値:1.50【6】 |
<5代血統表内のクロス:Princequillo4×5、Nasrullah4×4、Blue Larkspur5×5(母方)>
父 | 母父 | 祖母父 | 曾祖母父 |
---|---|---|---|
Verbatim (Prince John系) |
Drone (Sir Gaylord系) |
Law and Order (Nasrullah系) |
Bold Venture (Swynford系) |
形相の遺伝 | 料の遺伝 | 牝系 | 母の何番仔? |
Verbatim | 7.25 or 5.25 (【8】+【8】+【7】+【6】) |
(No. 1-s) | 3番仔? |
*
着 順 |
馬 番 |
馬名 | 性齢 | 斤 量 |
騎手 | 走破時計 ・着差 |
調教師 | 人 気 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 4 | Princess Rooney | 牝4 | 55.8 | Eddie J. Delahoussaye | 2:02 2/5 | Neil D. Drysdale | 1 |
2 | 5 | Life’s Magic | 牝3 | 54.0 | Jorge Velasquez | 7 | D. Wayne Lukas | 2 |
3 | 7 | Adored | 牝4 | 55.8 | Laffit A. Pincay, Jr. | 3/4 | Lazaro S. Barrera | 3 |
4 | 6 | Comedy Act | 牝5 | 55.8 | Sandy Hawley | 2 | Gary F. Jones | 7 |
5 | 2 | Salt Spring | 牝5 | 55.8 | William Shoemaker | アタマ | Henry Moreno | 6 |
2023年の現在に続く米国の競馬の祭典ブリーダーズカップ・ワールド・チャンピオンシップ。その初年度1984年の5番目のレースは米国牝馬ダート路線の頂点を決めるブリーダーズカップ・ディスタフ。レース名の「ディスタフ(Distaff)」という単語の響きが競馬に興味を持ち始めた頃に気になったものですが、2023年の現在、Chat GPTで特に脈絡なしに「Distaffという単語の意味を教えてください」と尋ねてみたところ、
「Distaff」という単語は、もともと紡ぎの棒(女性が糸を紡ぐための道具)を指す言葉で、それに関連して「女性の」「女性に関する」という意味合いで用いられることがあります。
馬競技の文脈で「Distaff」を見かける場合、それは通常、牝馬のみのレースやそのカテゴリを指します。例えば、”Breeders’ Cup Distaff” は Breeders’ Cup で行われる主要な牝馬限定のレースの一つです。
と答えてくれました。良いね(^^)
という訳で、改めてブリーダーズカップ・ディスタフの第1回を制したのは、芦毛の4歳牝馬Princess Rooney。1983年の3歳時にケンタッキーオークス(米GI)まで負け無しの10連勝を遂げた名牝は、ケンタッキーオークスの次走となったエイコーンS(米GI)で、後にスキーパラダイス(1990.5.12)の母としても知られることになるSki Goggle(1980.5.25)の2着に敗れた際に骨折の憂き目に遭った後、4歳半ばまではその本領を発揮できていない感もありました。しかしながら、やはり伊達や酔狂でデビューから無敗で米国牝馬クラシックを制していた訳ではなかったPrincess Rooney、1984年7月のヴァニティH(米GI)でケンタッキーオークス以来のGI勝ちを収めると、8月のチューラヴィスタH(米GIII)、10月のアローワンス、10月のスピンスターS(米GI)と4連勝。完全に勢いを取り戻して臨んだのが11月のブリーダーズカップ・ディスタフ。
そんなブリーダーズカップ・ディスタフにおける第1回の勝ち馬の称号を狙った馬たちは、当時の米国牝馬ダート路線の中核馬ばかり。人気順に戦前までの主な勝ち鞍を確認してみれば、
- Princess Rooney(1980.3.22)
→ケンタッキーオークス(米GI)、スピンスターS(米GI)、ヴァニティH(米GI)、フリゼットS(米GI)とGI4勝。本稿の主役 - Life’s Magic(1981.3.7)
→ベルデイムS(米GI)、アラバマS(米GI)、マザーグースS(米GI)、オークリーフS(米GI)とGI4勝 - Adored(1980.4.23)
→サンタマルガリータ招待H(米GI)、デラウェアH(米GI)とGI2勝。Princess Rooneyには当年5月のホーソーンH(米GII)、6月のミレイディH(米GII)で連勝 - Miss Oceana(1981.2.13)
→エイコーンS(米GI)、ガゼルH(米GI)、マスケットS(米GI)、フリゼットS(米GI)、セリマS(米GI)、アーリントンワシントンラッシーS(米GI)とGI6勝 - Lucky Lucky Lucky(1981.2.20)
→ケンタッキーオークス(米GI)、メイトロンS(米GI)とGI2勝 - Salt Spring(1979.9.29)
→コパ・デ・プラタ大賞(亜GI)のGI1勝。亜国からの移籍馬 - Comedy Act(1979.4.4)
→サンタバーバラH(米GI)のGI1勝
出走7頭すべてがGIホースという真に豪華メンバーの一戦でした。そんな中で7対10、日本風のオッズで言えば単勝1.7倍の1番人気に推されたPrincess Rooney、スタート直後から1歳年少のケンタッキーオークス馬Lucky Lucky Luckyと雁行して逃げ先行。レースの2ハロン毎のラップを追ってみれば、
23秒3/5-47秒1/5(23秒3/5)-1分11秒3/5(24秒2/5)-1分37秒(25秒2/5)-2分2秒2/5(25秒2/5)
と、強い馬が逃げ先行策を取れば締まった流れになるのは洋の東西を問わず。Princess Rooney、ハリウッドパーク・ダートの直線に入ると独走となり、最後は中団から位置を押し上げたLife’s Magicに7馬身差の大圧勝。恐るべしはPrincess Rooney、素晴らしい勝ちっぷりでブリーダーズカップ・ディスタフの第1回勝ち馬としてその名を刻むと共に、見事に引退の花道を飾ったのでした。なお、Princess Rooneyが置き去りにしたLife’s Magicは、翌1985年の第2回で「鉄の女」Lady’s Secret(1982.4.8)相手に6と4分の1馬身差の大圧勝を見せる馬であり、Princess Rooneyの凄みをより引き立てています。そしてまたLady’s Secretは1986年の第3回の勝ち馬ですね。
それでは、これから走る馬、人すべてに幸多からんことを。
*
[Princess Rooney(1980.3.22)の主な競走成績]
- ブリーダーズカップ・ディスタフ(米GI)、ケンタッキーオークス(米GI)、スピンスターS(米GI)、ヴァニティH(米GI)、フリゼットS(米GI)、アシュランドS(米GII)、ガーデニアS(米GII)、チューラヴィスタH(米GIII)
- エイコーンS(米GI)、ミレイディH(米GII)
- ホーソーンH(米GII)
通算21戦17勝、2着2回、3着1回。
Princess Rooney was the first winner of a Breeders’ Cup race to be inducted into the National Museum of Racing Hall of Fame.