シンザン 牡 鹿毛 1961.4.2生~1996.7.13没 浦河・松橋吉松氏生産 馬主・橋元幸吉氏 京都・武田文吾厩舎
ヒンドスタン 黒鹿毛 1946 種付け時活性値:1.50【14】 |
Bois Roussel 黒鹿毛 1935 |
★Vatout 鹿毛 1926 |
Prince Chimay 1915 |
Vasthi 1921 | |||
Plucky Liege 鹿毛 1912 |
★Spearmint 1903.4.6 | ||
Concertina 1896 | |||
Sonibai 鹿毛 1939 |
★Solario 鹿毛 1922 |
Gainsborough 1915.1.24 | |
Sun Worship 1912 ♀ | |||
Udaipur 黒鹿毛 1929 |
Blandford 1919.5.26 | ||
Uganda 1921 | |||
ハヤノボリ 栗毛 1949.6.4 仔受胎時活性値:0.75【11】 |
ハヤタケ 鹿毛 1939 種付け時活性値:0.25【9】 |
セフト 鹿毛 1932 |
Tetratema 1917 |
Voleuse 1920 | |||
飛龍 鹿毛 1929 |
▲クラツクマンナン 1919 | ||
オーフロラ 1919 | |||
第五バツカナムビユーチー 栗毛 1941.4.16 仔受胎時活性値:1.75【7】 |
トウルヌソル 鹿毛 1922 種付け時活性値:0.50【18】 |
Gainsborough 1915.1.24 | |
Soliste 1910 | |||
バツカナムビユーチー 鹿毛 1929.4.18 仔受胎時活性値:0.75【11】 |
シアンモア 黒鹿毛 1924.4.7 種付け時活性値:1.00【4】 |
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第三ビユーチフルドリーマー 栗毛 1917.4.13 仔受胎時活性値:0.75【11】 |
<5代血統表内のクロス:Gainsborough4×4、Sun Worship(♀)4×5>
父 | 母父 | 祖母父 | 曾祖母父 |
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ヒンドスタン (Bois Roussel系) |
ハヤタケ (The Tetrarch系) |
トウルヌソル (Gainsborough系) |
シアンモア (Sundridge系) |
形相の遺伝 | 料の遺伝 | 牝系 | 母の何番仔? |
ヒンドスタン (Sonibai) |
4.00 | 兄に重賞勝ち馬2頭 (No. 12 ビユーチフルドリーマー系) |
4番仔? (前年産駒無し後?) |
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以下にシンザンのごく簡単な近親牝系図を示しておきます。
第五バッカナムビューチー 1941.4.16 中央0勝
|オリオン 1948.4.4 中央7勝
||カズヨシ 1954.4.19 中央7勝 皐月賞 東京優駿2着
||ブルースター 1960.3.31 地方出走
|||ブルーアレツ 1975.3.24 中央6勝 安田記念
|ハヤノボリ 1949.6.4 中央6勝
||リンデン 1955.4.19 中央5勝 京都4歳特別
||オンワードスタン 1957.5.13 中央9勝 中山記念
||シンザン 1961.4.2 (本馬) 中央15勝 東京優駿 皐月賞 菊花賞 天皇賞・秋 有馬記念 宝塚記念ほか
|ジツホマレ 1950.6.4 中央17勝 優駿牝馬 小倉記念 京都牝馬特別
||ファストホマレ 1961.6.4 中央2勝
|||シンスター 1967.6.8 中央5勝 阪神牝馬特別
|エイ 1955.4.8 中央0勝
||エイアロー 1968.6.1 中央2勝
|||アロープリンセス 1983.4.11 地方3勝
||||アジュディケーター 1993.6.6 中央3勝 京成杯3歳S(GII)
兄に重賞勝ち馬2頭、叔母に優駿牝馬勝ち馬、従兄に皐月賞馬。見ればきらびやかな近親たち。日本の誇る12号族、小岩井のビユーチフルドリーマー(1903)系におけるピッカピカの良血というのが、シンザンの出自でした。
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着 順 |
馬 番 |
馬名 | 性齢 | 騎手 | 走破 時計 |
着差 | 調教師 | 人 気 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 6 | シンザン | 牡3 | 栗田 勝 | 2:04.1 | 武田 文吾 | 1 | |
2 | 3 | アスカ | 牡3 | 小林 功 | 2:04.2 | 3/4 | 小林 三雄三 | 2 |
3 | 4 | ウメノチカラ | 牡3 | 伊藤 竹男 | 2:04.4 | 1・1/2 | 古賀 嘉蔵 | 4 |
4 | 12 | バリモスニセイ | 牡3 | 諏訪 真 | 2:04.4 | ハナ | 諏訪 佐市 | 13 |
5 | 21 | ヤマニンスーパー | 牡3 | 藤本 勝彦 | 2:04.6 | 1 | 藤本 冨良 | 5 |
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着 順 |
馬 番 |
馬名 | 性齢 | 騎手 | 走破 時計 |
着差 | 調教師 | 人 気 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 10 | シンザン | 牡3 | 栗田 勝 | 2:28.8 | 武田 文吾 | 1 | |
2 | 1 | ウメノチカラ | 牡3 | 伊藤 竹男 | 2:29.0 | 1・1/4 | 古賀 嘉蔵 | 2 |
3 | 4 | オンワードセカンド | 牡3 | 松本 善登 | 2:29.7 | 4 | 武田 文吾 | 8 |
4 | 8 | ヤマニンスーパー | 牡3 | 藤本 勝彦 | 2:29.9 | 1・1/4 | 藤本 冨良 | 4 |
5 | 20 | アスカ | 牡3 | 小林 功 | 2:29.9 | ハナ | 小林 三雄三 | 3 |
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着 順 |
馬 番 |
馬名 | 性齢 | 騎手 | 走破 時計 |
着差 | 調教師 | 人 気 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | シンザン | 牡3 | 栗田 勝 | 3:13.8 | 武田 文吾 | 2 | |
2 | 4 | ウメノチカラ | 牡3 | 伊藤 竹男 | 3:14.2 | 2・1/2 | 古賀 嘉蔵 | 1 |
3 | 12 | オンワードセカンド | 牡3 | 松本 善登 | 3:14.6 | 2・1/2 | 武田 文吾 | 4 |
4 | 5 | サンダイアル | 牡3 | 加賀 武見 | 3:14.8 | 1・1/4 | 阿部 正太郎 | 8 |
5 | 10 | カネケヤキ | 牝3 | 野平 祐二 | 3:15.0 | 1・1/4 | 杉浦 照 | 9 |
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「最強の戦士」シンザン。初代三冠馬のセントライト(1938.4.2)以来23年ぶりに現れた、戦後初の三冠馬シンザンは、奇しくもセントライトと同じ4月2日生まれ。
そんなシンザンが三冠を制した1964年は、東京オリンピック開催、新幹線開通、そしてシンザンの三冠という戦後のエポックメーキングとなった出来事があった年でした。
19戦15勝、2着4回という100%連対を誇った現役時代。皐月賞、東京優駿、菊花賞、天皇賞・秋、有馬記念、宝塚記念、スプリングS、目黒記念・秋と重賞8勝。2着4回のうち3回は平場のオープン戦で、出走した重賞で敗れたのは夏負け後の現年齢表記3歳秋の京都盃だけでした。
また「シンザンにはレコード勝ちがなかった」と言われますが、東京優駿の勝ち時計2分28秒8は、前年にメイズイ(1960.3.13)が記録したレースレコードかつ日本レコード2分28秒7と0秒1差の好時計だったのです。馬場状態の違いはあるにせよ、後の三冠馬であるミスターシービー(1980.4.7)の2分29秒5や、シンボリルドルフ(1981.3.13)の2分29秒3よりも速いタイムで、府中芝2400mのクラシックを勝ち取ったのでした。
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そんなシンザンのスピードの確かさは、内国産馬不遇の時代を切り開き、八大競走勝ち馬2頭を含む20頭の中央重賞勝ち馬を送り出した種牡馬時代に示されました。以下に、八大競走勝ち馬2頭を筆頭として、残りの18頭の重賞勝ち馬を生年月日順に列挙してみます。
- ミホシンザン(1982.4.16)
→皐月賞(GI)、菊花賞(GI)、天皇賞・春(GI)、スプリングS(GII)、京都新聞杯(GII)、AJC杯(GII)、日経賞(GII) - ミナガワマンナ(1978.5.15)★
→菊花賞、アルゼンチン共和国杯2回 - シングン(1968.6.4)
→金鯱賞、朝日CC - スガノホマレ(1969.3.1)
→CBC賞、東京新聞杯、京王杯オータムH、日本短波賞 - シンザンミサキ(1969.4.12)
→鳴尾記念、愛知杯 - ブルスイシヨー(1970.3.6)★
→クモハタ記念、カブトヤマ記念 - シルバーランド(1970.3.28)★
→マイラーズC、愛知杯2回、CBC賞、京阪杯 - フジリンデン(1971.6.18)
→北九州記念 - ウラカワチエリー(1972.5.3)
→阪神牝馬特別、北九州記念 - ハシコトブキ(1974.5.1)
→京都記念・秋、朝日CC、愛知杯 - ゴールデンボート(1975.3.28)
→京王杯スプリングH - グレートタイタン(1975.4.2)
→京都記念・秋2回、阪神大賞典、金杯、愛知杯 - ロイヤルシンザン(1975.4.4)
→安田記念 - アサヒダイオー(1975.4.4)
→カブトヤマ記念 - キヤプテンナムラ(1975.4.27)
→阪神大賞典、鳴尾記念 - フジマドンナ(1976.5.31)
→福島記念、中日新聞杯、カブトヤマ記念 - ヒヨシシカイナミ(1977.3.27)
→愛知杯 - グレートエコー(1978.4.1)★
→京都大障害・秋、阪神障害S・秋 - アサヒテイオー(1979.5.18)
→日経賞 - キヨウワシンザン(1983.5.8)
→小倉3歳S
20頭で挙げた中央重賞の総数は49勝。後の「2代目お助けボーイ」トウショウボーイ(1973.4.15)でも43勝ということですから、恐るべしはシンザン。
種牡馬生活の晩年に送り出した最高傑作ミホシンザン、種牡馬シンザンに初のクラシックの栄冠を贈ったミナガワマンナ。クラシックホース2頭の他にもレコード勝ち5回のスガノホマレ、日本の芝2000mのレースで初めて2分の壁を破ったシルバーランド、田原成貴氏をして「切れ味が忘れられない」と言わしめたグレートタイタン等々。
その「ナタの切れ味」は、世代を重ねた際に研ぎ澄まされ、豊かなスピードに昇華されたのでした。
#追記。シンザン産駒は1969年から1992年まで24年連続で中央で勝利を収めました。これは後にノーザンテースト(1971.3.15)に破られましたが、当時の最長記録でした。また、シンザン産駒最後の中央勝利、テレビ中継で見ていたのです。1994年春のストークS(準OP)。山田泰誠騎手を背にしたスーパーシンザン(1987.6.6)が、アロートゥスズカ(1990.4.15)をわずかに抑えたレースでした。関西テレビの中継、馬場鉄志アナウンサーの実況だったかと。「ストークとはコウノトリのこと云々」とおっしゃっていたことを思い出します(^^;)
#追記の追記。調べてみると、スーパーシンザンがストークSを制した日は1994年5月22日でした。ふふ、気が付けば、チョウカイキャロル(1991.3.26)が優駿牝馬(GI)を制した日ではないですか。これは谷川牧場さん、嬉しかったでしょうね。生産馬であるチョウカイキャロルとメモリージャスパー(1991.5.5)が優駿牝馬で頑張って1着、4着となった10分後に、繋養種牡馬シンザンの最後の仔が勝利を収めた訳ですから(^^)
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閑話休題。シンザンについて記す時、その生命力に触れない訳にはいきません。
日本の軽種馬として最長寿記録となる満35歳3ヶ月11日まで生きた生命力。
いかに大切に飼養されたとはいえ、シンザン自身の、いのちそのものの頑健さがなければ、生きられるものではありません。
シンザンは、本当は「伸山」が名前の漢字表記になるそうですが、その生きようは、まさに「神讃」。
競馬の神に讃えられた馬、シンザン。現役時代、種牡馬時代、生命力。どこから切り取っても、日本における20世紀最高の名馬は彼しかないように思います。
それでは、これから走る馬、人すべてに幸多からんことを。
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[シンザン(1961.4.2)の主な競走成績]
- 東京優駿、皐月賞、菊花賞、有馬記念、天皇賞・秋、宝塚記念、目黒記念・秋、スプリングS
- 京都盃
通算19戦15勝、2着4回。
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やっぱり、兄さんのお祖父様は凄いですね。
そうやな。谷川牧場代表でもあった谷川弘一郎さんがおっしゃったという「百年続くシンザンの父系」、つなげたかったな…。
兄さん……。