ダンスパートナー 牝 鹿毛 1992.5.25生~2016.10.14没 千歳・社台ファーム生産 馬主・吉田勝己氏 栗東・白井寿昭厩舎
サンデーサイレンス 青鹿毛 1986.3.25 種付け時活性値:1.25【5】 |
★ Halo.2.7 黒鹿毛 1969 |
Hail to Reason 黒鹿毛 1958.4.18 |
Turn-to 1951 |
Nothirdchance 1948 | |||
Cosmah 鹿毛 1953.4.4 |
★Cosmic Bomb 1944 | ||
Almahmoud 1947.5.18 ♀ | |||
Wishing Well 鹿毛 1975.4.12 |
Understanding 栗毛 1963.2.17 |
★Promised Land 1954.3.31 | |
Pretty Ways 1953.3.21 | |||
Mountain Flower 鹿毛 1964.3.23 |
Montparnasse 1956 | ||
Edelweiss 1959.2.15 | |||
ダンシングキイ 鹿毛 1983.5.21 仔受胎時活性値:2.00【8】 |
Nijinsky 鹿毛 1967.2.21 種付け時活性値:1.75【15】 |
Northern Dancer 鹿毛 1961.5.27 |
Nearctic 1954.2.11 |
Natalma 1957.3.26 | |||
Flaming Page 鹿毛 1959.4.24 |
Bull Page 1947 | ||
Flaring Top 1947.3.27 | |||
Key Partner 黒鹿毛 1976.3.26 仔受胎時活性値:1.50【6】 |
Key to the Mint 鹿毛 1969.3.9 種付け時活性値:1.50【6】 |
Graustark 1963.4.7 | |
Key Bridge 1959.4.10 | |||
Native Partner 鹿毛 1966.4.5 仔受胎時活性値:0.25【9】 |
Raise a Native 栗毛 1961.4.18 種付け時活性値:1.00【4】 |
||
Dinner Partner 鹿毛 1959.5.27 仔受胎時活性値:1.50【6】 |
<5代血統表内のクロス:Almahmoud(♀)4×5、Native Dancer5×5(母方)>
父 | 母父 | 祖母父 | 曾祖母父 |
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サンデーサイレンス (Halo系) |
Nijinsky (Northern Dancer系) |
Key to the Mint (Ribot系) |
Raise a Native (Native Dancer系) |
形相の遺伝 | 料の遺伝 | 牝系 | 母の何番仔? |
Nijinsky | 5.25 (【8】+【6】+【9】+【6】) |
3きょうだいGI馬 (No. 7) |
6番仔 (6連産目) |
*
着 順 |
馬 番 |
馬名 | 性齢 | 騎手 | 走破 時計 |
着差 | 調教師 | 人 気 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 15 | ダンスパートナー | 牝4 | 四位 洋文 | 2:14.3 | 白井 寿昭 | 1 | |
2 | 4 | フェアダンス | 牝4 | 藤田 伸二 | 2:14.3 | アタマ+クビ | 武 宏平 | 3 |
3 | 10 | シーズグレイス | 牝3 | 福永 祐一 | 2:14.4 | 1/2 | 森 秀行 | 11 |
4 | 2 | ホクトベガ | 牝6 | 的場 均 | 2:14.4 | アタマ | 中野 隆良 | 4 |
5 | 9 | スプリングバンブー | 牝6 | 幸 英明 | 2:14.4 | アタマ | 田島 良保 | 15 |
6 | 14 | シャイニンレーサー | 牝5 | 松永 幹夫 | 2:14.5 | 1/2 | 高橋 隆 | 10 |
7 | 11 | ヒシアマゾン | 牝5 | 中舘 英二 | 2:14.3 | (2位降着) | 中野 隆良 | 5 |
1F毎の ラップ |
12.5 – 12.1 – 13.2 – 12.9 – 12.4 – 12.2 – 12.4 – 12.3 – 11.3 – 11.3 – 11.7 |
---|---|
ラップの 累計タイム |
12.5 – 24.6 – 37.8 – 50.7 – 1:03.1 – 1:15.3 – 1:27.7 – 1:40.0 – 1:51.3 – 2:02.6 – 2:14.3 |
上り | 4F 46.6 – 3F 34.3 |
古馬開放となった初回のエリザベス女王杯は、出走前から波乱の様相を示した1戦でした。安田記念(GI)でトロットサンダー(1989.5.10)の10着以来5ヶ月ぶりのレースとなったヒシアマゾン(1991.3.26)が、ゲートの下にもぐり込み外枠発走となったのです。同じ中野隆良厩舎のもう1頭の名牝、ホクトベガ(1990.3.26)との初めての揃い踏みが嬉しかったのでしょうか。そんなヒシアマゾンの外枠発走から始まったエリザベス女王杯。
こういう時は、得てして、騒ぎを起こした馬を中心にレースが展開するものです。ポンとスタート良く飛び出したヒシアマゾン、前方集団に取りついて気持ち良さそうに走っていました。そのヒシアマゾンを内からマークする位置で走っていたのがダンスパートナー。京都芝外回りの直線およそ400m。黒鹿毛馬が外から抜けて来ました。ヒシアマゾン、やはり力が違うのか。前年のジャパンカップ(GI)でLando(1990.1.23)の2着、前々年の有馬記念(GI)でナリタブライアン(1991.5.3)の2着。古馬や牡馬に混じって強いレースをしてきた女傑はやはり強いのか。そう思った刹那。内から1頭、鹿毛馬が抜け出して来ました。ダンスパートナー。こちらも当年の京阪杯(GIII)1着、宝塚記念(GI)でマヤノトップガン(1992.3.24)の3着など古牡馬相手に好戦して来たのでした。さながらキャリアウーマンたちのせめぎ合い。外を回った黒鹿毛馬は、内の鹿毛馬に馬体を併せに行きました。「負けられない」というヒシアマゾンの意思がそうさせたのでしょうか、内に切れ込み加減で併せに行ったものの僅かに届かず、ダンスパートナーが「アタマ」だけ振り切り、先頭でゴールに飛び込みました。前週の全弟ダンスインザダーク(1993.6.5)の菊花賞(GI)制覇を受けて、全姉ダンスパートナーが優駿牝馬(GI)以来のGI制覇を遂げた瞬間でした。終わってみればGI馬どうしの決着と思われました。しかしながら、2位入線したヒシアマゾンはシャイニンレーサー(1991.3.10)-フジキセキ(1992.4.15)の半姉-への進路妨害により7着降着となり、3位入線のフェアダンス(1992.4.29)が2着繰り上がり。4位入線の3着には逃げた3歳馬シーズグレイス(1993.5.21)が入り、5位入線の4着は上がり3ハロン33秒7のカミソリ脚を使ったホクトベガという結果でした。
*
ダンスパートナーの戦歴を改めて辿ったところ「むぅ、これは表組みするほうが良いな」と思いました。現年齢表記3歳、4歳、5歳とダンスパートナーが走った3年間をそれぞれの歳に分けて記しておきます。
No. | 年月日 | 場 | レース | 馬場 | 距離(m) | 人気 | 着順 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1995/01/29 | 小倉 | 4歳新馬 | 芝 | 1200 | 1 | 1 |
2 | 1995/02/18 | 京都 | エルフィンS(OP) | 芝 | 1600 | 2 | 2 |
3 | 1995/03/11 | 京都 | チューリップ賞(GIII) | 芝 | 1600 | 2 | 2 |
4 | 1995/04/09 | 京都 | 桜花賞(GI) | 芝 | 1600 | 3 | 2 |
5 | 1995/05/21 | 東京 | 優駿牝馬(GI) | 芝 | 2400 | 3 | 1 |
6 | 1995/08/27 | ドーヴィル | ノネット賞(仏GIII) | 芝 | 2000 | 2 | |
7 | 1995/09/10 | ロンシャン | ヴェルメイユ賞(仏GI) | 芝 | 2400 | 6 | |
8 | 1995/11/05 | 京都 | 菊花賞(GI) | 芝 | 3000 | 1 | 5 |
9 | 1995/12/17 | 阪神 | 阪神牝馬特別(GII) | 芝 | 2000 | 1 | 2 |
1995年。1月の小倉開催で新馬勝ちを収めた小柄な牝馬は、2月のエルフィンS2着、3月のチューリップ賞2着、4月の桜花賞2着、5月の優駿牝馬1着と上り詰めて行きました。
着 順 |
馬 番 |
馬名 | 性齢 | 騎手 | 走破 時計 |
着差 | 調教師 | 人 気 |
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1 | 5 | ダンスパートナー | 牝3 | 武 豊 | 2:26.7 | 白井 寿昭 | 3 | |
2 | 16 | ユウキビバーチェ | 牝3 | 松永 幹夫 | 2:27.0 | 1・3/4 | 新井 仁 | 5 |
3 | 9 | ワンダーパヒューム | 牝3 | 田原 成貴 | 2:27.3 | 1・3/4 | 領家 政蔵 | 7 |
4 | 11 | オトメノイノリ | 牝3 | 安田 富男 | 2:27.5 | 1・1/4 | 尾形 充弘 | 12 |
5 | 17 | プライムステージ | 牝3 | 岡部 幸雄 | 2:27.7 | 1 | 伊藤 雄二 | 4 |
1F毎の ラップ |
12.6 – 10.7 – 11.5 – 12.1 – 12.1 – 12.6 – 13.6 – 13.1 – 12.3 – 12.6 – 11.4 – 12.1 |
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ラップの 累計タイム |
12.6 – 23.3 – 34.8 – 46.9 – 59.0 – 1:11.6 – 1:25.2 – 1:38.3 – 1:50.6 – 2:03.2 – 2:14.6 – 2:26.7 |
上り | 4F 48.4 – 3F 36.1 |
そして夏には敢然と海外遠征し、8月のノネット賞(GIII)2着、9月のヴェルメイユ賞(GI)6着と中1週のローテーションものかは、仏国のグループレースを奮闘。帰国後、これまた敢然と牡馬相手となる11月の菊花賞でマヤノトップガンの5着。その走破時計3分5秒0は、翌年弟が菊花賞1着時に刻んだ3分5秒1よりコンマ1速いタイム。そして3歳最終戦として12月には阪神牝馬特別(GII)も走り2着。ダンスパートナー、3歳時の戦歴を改めて辿れば、国も距離も問わずの、ものすごいタフさ(!!)
No. | 年月日 | 場 | レース | 馬場 | 距離(m) | 人気 | 着順 |
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1 | 1996/01/21 | 東京 | AJCC(GII) | 芝 | 2200 | 4 | 2 |
2 | 1996/02/11 | 京都 | 京都記念(GII) | 芝 | 2200 | 2 | 2 |
3 | 1996/03/31 | 阪神 | 産経大阪杯(GII) | 芝 | 2000 | 2 | 4 |
4 | 1996/05/11 | 京都 | 京阪杯(GIII) | 芝 | 2200 | 1 | 1 |
5 | 1996/06/09 | 東京 | 安田記念(GI) | 芝 | 1600 | 7 | 6 |
6 | 1996/07/07 | 阪神 | 宝塚記念(GI) | 芝 | 2200 | 3 | 3 |
7 | 1996/10/06 | 京都 | 京都大賞典(GII) | 芝 | 2400 | 2 | 4 |
8 | 1996/11/10 | 京都 | エリザベス女王杯(GI) | 芝 | 2200 | 1 | 1 |
9 | 1996/11/24 | 東京 | ジャパンカップ(GI) | 芝 | 2400 | 6 | 10 |
10 | 1996/12/22 | 中山 | 有馬記念(GI) | 芝 | 2500 | 12 | 6 |
1996年。4歳時の出走歴も振り返ると大変な内容で、1月のAJCCでカネツクロス(1991.3.18)の2着、2月の京都記念でテイエムジャンボ(1991.5.23)の2着、3月の大阪杯でタイキブリザード(1991.3.12)の4着、5月の京阪杯でイブキタモンヤグラ(1992.2.29)を負かして1着、6月の安田記念でトロットサンダーの6着、7月の宝塚記念でマヤノトップガンの3着。短い夏休みを挟んで10月の京都大賞典でマーベラスサンデー(1992.5.31)の4着と来て迎えたのが、上述の11月のエリザベス女王杯1着。その後、中1週で臨んだジャパンカップでSingspiel(1992.2.25)の10着、12月の有馬記念でサクラローレル(1991.5.8)の6着。ダンスパートナー、重賞ばかり年間10走。20世紀末はGI馬でも前哨戦を当たり前のように走ってくれていましたが、21世紀も20年以上が過ぎた2023年の現在からすると隔世の感もありますね。しっかし、出て来る馬たちの名前の懐かしさよ^^;
No. | 年月日 | 場 | レース | 馬場 | 距離(m) | 人気 | 着順 |
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1 | 1997/04/13 | シャティン | クイーンエリザベス2世カップ | 芝 | 2000 | 8 | |
2 | 1997/06/15 | 阪神 | 鳴尾記念(GII) | 芝 | 2000 | 4 | 3 |
3 | 1997/07/06 | 阪神 | 宝塚記念(GI) | 芝 | 2200 | 4 | 3 |
4 | 1997/10/05 | 京都 | 京都大賞典(GII) | 芝 | 2400 | 1 | 2 |
5 | 1997/11/09 | 京都 | エリザベス女王杯(GI) | 芝 | 2200 | 1 | 2 |
6 | 1997/12/21 | 中山 | 有馬記念(GI) | 芝 | 2500 | 5 | 14 |
1997年。5歳時も現役を続行し、年の初戦は4月のシャティン芝2000mのクイーンエリザベス2世カップ8着という香港遠征から始まり、6月の鳴尾記念(GII)でバブルガムフェロー(1993.4.11)の3着、7月の宝塚記念でマーベラスサンデーの3着、10月の京都大賞典(GII)でシルクジャスティス(1994.3.18)の2着、連覇を狙った11月のエリザベス女王杯でエリモシック(1993.3.19)の2着と勝ち切れないものの善戦を続けました。引退レースとなった有馬記念はシルクジャスティスとマーベラスサンデーとエアグルーヴ(1993.4.6)の勝負を遠くから眺めるかのような走りでしたが、あれは「もう私の競走は終わりました」という、彼女なりの意思表示だったのかも知れません。
ダンスパートナー、丸3年間で通算25戦4勝、2着9回、3着3回。ひたむきに走り続けた結果、稼いだ賞金は6億円を越えていました。
*
思わぬ大長編となりました。サンデーサイレンス産駒初の牝馬GI勝ち馬であったダンスパートナーは、やはり印象深い牝馬だったんだな、と。
ダンスパートナーのひとつ年上にはヒシアマゾン、ひとつ年下にはエアグルーヴ。女傑や女帝が牡馬たちを打ち負かす様は「強さ」の表現としてよく分かりました。けれど、ダンスパートナーの「強さ」というのは、ちょっと違ったものであったように思います。どんな場所、どんな条件で走っても決して動じない、ひるまない「精神力」。いつでも一途に走るその「姿勢」こそが、ダンスパートナーの「強さ」だったと思います。牡馬たちを圧倒するような迫力はなかったかも知れません。けれど、牡牝混合重賞で控えめに負ける姿は、かえって女馬らしかった。
弾むように駆けた優駿牝馬では「おてんば娘」のようにも思えたダンスパートナー。エリザベス女王杯で2年連続連対を果たす頃には「淑女」になっていました。時を旅して「大人」になるのは、人も馬も同じでした。
それでは、これから走る馬、人すべてが無事でありますように。
*
[ダンスパートナー(1992.5.25)の主な競走成績]
- 優駿牝馬(GI)、エリザベス女王杯(GI)、京阪杯(GIII)
- 桜花賞(GI)、エリザベス女王杯(GI)、京都大賞典(GII)、京都記念(GII)、AJCC(GII)、阪神牝馬特別(GII)、ノネット賞(仏GIII)、チューリップ賞(GIII)
- 宝塚記念(GI)2回、鳴尾記念(GII)
通算25戦4勝、2着9回、3着3回。
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このサイトの管理人、おまはんと同い年の1992年生まれ世代の牝馬も思い出深いらしい。
本稿の主役ダンスパートナーの他にも「レコード娘」ヤマニンパラダイス(1992.4.25)、桜花賞馬ワンダーパヒューム(1992.3.7)、エリザベス女王杯勝ち馬サクラキャンドル(1992.4.9)等がいますね。
ライデンリーダー(1992.5.25)やイブキニュースター(1992.5.25)、サンデーサイレンスさんに産駒の重賞初制覇を贈ったプライムステージ(1992.3.25)もいたなぁ。
はい。管理人曰く「ライデンリーダー、イブキニュースター、ダンスパートナーの優駿牝馬の上位人気3頭が同じ5月25日生まれであることは、絶対に忘れない」とのことです。