レガシーワールド(Legacy World) せん 鹿毛 1989.4.23生 静内・へいはた牧場生産 馬主・(株)ホースタジマ 栗東・戸山為夫厩舎→森秀行厩舎
モガミ 青鹿毛 1976.5.18 種付け時活性値:1.00【12】 |
Lyphard 鹿毛 1969.5.10 |
Northern Dancer 鹿毛 1961.5.27 |
Nearctic 1954.2.11 |
Natalma 1957.3.26 | |||
Goofed 栗毛 1960.3.29 |
Court Martial 1942.3.20 | ||
Barra 1950 | |||
ノーラツク 黒鹿毛 1968.4.25 |
Lucky Debonair 鹿毛 1962.5.2 |
Vertex 1954.4.16 | |
Fresh as Fresh 1957.5.14 | |||
No Teasing 黒鹿毛 1957.4.7 |
Palestinian 1946 | ||
No Fiddling 1945 | |||
ドンナリデイア 栗毛 1983.6.12 仔受胎時活性値:1.25【5】 |
ジムフレンチ 鹿毛 1968.4.26 種付け時活性値:1.50【14】 |
Graustark 栗毛 1963.4.7 |
Ribot 1952.2.27 |
Flower Bowl 1952 | |||
Dinner Partner 鹿毛 1959.5.27 |
Tom Fool 1949.3.31 | ||
Bluehaze 1945 | |||
ダイゴハマイサミ 栗毛 1966.6.14 仔受胎時活性値:2.00【16】 |
チヤイナロツク 栃栗毛 1953 種付け時活性値:1.00【12】 |
Rockefella 1941 | |
May Wong 1934 | |||
ハマイサミ 栗毛 1957.4.14 仔受胎時活性値:2.00(0.00)【8】 |
ヴイーノーピユロー(ARG) 栗毛 1934.7.27 種付け時活性値:1.375【21.5】 |
||
ミスヒガシ 鹿毛 1943.4.11 仔受胎時活性値:1.25【13】 |
<5代血統表内のクロス:なし>
父 | 母父 | 祖母父 | 曾祖母父 |
---|---|---|---|
モガミ (Lyphard系) |
ジムフレンチ (Ribot系) |
チヤイナロツク (Hyperion系) |
ヴイーノーピユロー (The Tetrarch系) |
形相の遺伝 | 料の遺伝 | 牝系 | 母の何番仔? |
ジムフレンチ | 6.50 or 4.50 |
祖母が阪神障害Sの勝ち馬 (No. 4-d プロポンチス系) |
2番仔 (2連産目) |
*
着 順 |
馬 番 |
馬名 | 性齢 | 騎手 |
走破 時計 |
着差 | 調教師 |
人 気 |
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1 | 8 | レガシーワールド | せん4 | 河内 洋 | 2:24.4 | 森 秀行 | 6 | |
2 | 7 | コタシャーン | 牡5 | K.デザーモ | 2:24.6 | 1・1/4 | R.マンデラ | 1 |
3 | 2 | ウイニングチケット | 牡3 | 柴田 政人 | 2:24.6 | アタマ | 伊藤 雄二 | 4 |
4 | 4 | プラティニ | 牡4 | M.E.リマー | 2:24.7 | クビ | B.シュッツ | 14 |
5 | 3 | スターオブコジーン | 牡5 | J.A.サントス | 2:24.9 | 1・1/4 | M.A.ヘニグ | 3 |
1993年の第13回ジャパンカップ。いま思えば「アーバンシーがよく日本で走ってくれたなぁ」と思います。当年の凱旋門賞(GI)を制していたUrban Sea(アーバンシー。1989.2.18)、ジャパンカップでは10番人気8着でした。そんな彼女の真価は、Galileo(1998.3.30)、Sea The Stars(2006.4.6)、Black Sam Bellamy(1999.4.21)、My Typhoon(2002.5.7)と、英ダービー(GI)馬2頭を含む4頭のGI勝ち馬を産んだ繁殖牝馬として発揮されたのですが、それはまた、別の話。
レースは、その年の5月に鬼籍に入られた戸山為夫調教師の遺産が世界を制した、という結果でした。その名もまさにレガシーワールド、日本で調教された「せん馬」として、初めてJRAGIで勝利を収めました。終始先行2番手から積極的に推し進め、後続勢の追い込みを封じました。ただ、せっかくの優勝にちょっとケチが付いてしまったのは、2着のコタシャーン(1988.5.4)にラスト100mで「ゴール板誤認事件」があったこと。それでも、事件があってもなくても、レガシーワールドが凌いでいたのではないかと思います。現年齢表記3歳秋から4歳時のレガシーワールドからは、勝負に行って、鬼気迫るものが発せられていました。
勝ち戻るレガシーワールドに対して、フジテレビ系列の中継で解説をされていた大川慶次郎さんが「勝ったから言う訳じゃあないんですけど、いま日本で一番強い馬です」と、おっしゃっていたのを覚えています。それだけ、能力を買われていたのですね。
自分から勝ちに行く競馬が出来たレガシーワールド、絶頂期には本当に強い馬でした。
それでは、これから走る馬、人すべてに幸多からんことを。
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[レガシーワールド(1989.4.23)の主な競走成績]
- ジャパンカップ(GI)、セントライト記念(GII)
- 有馬記念(GI)、京都大賞典(GII)、AJCC(GII)
通算32戦7勝、2着5回、3着2回。