Wemyss Bight(ウィームズバイト) 牝 鹿毛 1990.4.6生~2009.4.15没 英国・Juddmonte Farms生産 馬主・K Abdullah 仏国・A Fabre厩舎
| ダンシングブレーヴ 鹿毛 1983.5.11 種付け時活性値:1.50【6】 |
Lyphard 鹿毛 1969.5.10 |
Northern Dancer 鹿毛 1961.5.27 |
Nearctic 1954.2.11 |
| Natalma 1957.3.26 | |||
| Goofed 栗毛 1960.3.29 |
Court Martial 1942 | ||
| Barra 1950 | |||
| Navajo Princess 鹿毛 1974.3.31 |
Drone 芦毛 1966.4.1 |
Sir Gaylord 1959.2.12 | |
| Cap and Bells 1958.5.21 | |||
| Olmec 栗毛 1966 |
Pago Pago 1960.9.1 | ||
| Chocolate Beau 1958.3.12 | |||
| Bahamian 栗毛 1985.2.8 仔受胎時活性値:1.00【4】 |
★ Mill Reef 鹿毛 1968.2.23 種付け時活性値:0.00【16】 |
Never Bend 鹿毛 1960.3.15 |
Nasrullah 1940.3.2 |
| Lalun 1952 | |||
| Milan Mill 鹿毛 1962.2.10 |
Princequillo 1940 | ||
| Virginia Water 1953.4.18 | |||
| Sorbus 鹿毛 1975 仔受胎時活性値:0.25【9】 |
Busted 鹿毛 1963 種付け時活性値:0.75【11】 |
★Crepello 1954 | |
| Sans le Sou 1957 | |||
| Censorship 栗毛 1969.5.20 仔受胎時活性値:1.25【5】 |
Prince John 栗毛 1953.4.6 種付け時活性値:1.75【15】 |
||
| Sixpence 栗毛 1951 仔受胎時活性値:0.25【17】 |
<5代血統表内のクロス:Princequillo4×5、Nearco5×5>
| 父 | 母父 | 祖母父 | 曾祖母父 |
|---|---|---|---|
| ダンシングブレーヴ (Lyphard系) |
★Mill Reef (Never Bend系) |
Busted (Crepello系) |
Prince John (Princequillo系) |
| 形相の遺伝 | 料の遺伝 | 牝系 | 母の何番仔? |
| Prince John (Bahamian) |
2.75 (【4】+【9】+【5】+【17】) |
仔Beat Hollow (No. 19) |
初仔 |
*
| 着 順 |
馬 番 |
馬名 | 性齢 | 斤 量 |
騎手 | 走破時計 ・着差 |
調教師 | 人 気 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 4 | Wemyss Bight | 牝3 | 57.2 | Pat Eddery | 2:35.80 | A Fabre | 2 |
| 2 | 7 | Royal Ballerina | 牝3 | 57.2 | Willie Supple | 1/2 | Michael Kauntze | 6 |
| 3 | 3 | オークミード | 牝3 | 57.2 | John Reid | 4 | Peter Chapple-Hyam | 3 |
| 4 | 8 | Intrepidity | 牝3 | 57.2 | M Roberts | 短アタマ | A Fabre | 1 |
| 5 | 10 | Danse Royale | 牝3 | 57.2 | L Piggott | 2 1/2 | M J Grassick | 5 |
英オークス(GI)をレースレコードで制したステーブルメイトIntrepidity(1990.2.19)が戦前1番人気でしたが、勝利を収めたのはその英オークス5着からの巻き返しに成功したWemyss Bight。11頭立ての道中を後方に構えた鹿毛の流星、右後一白。息を潜めるようにして力を溜めて迎えたカラ芝の直線およそ547ヤード、父ダンシングブレーヴの騎乗でも知られた名手パット・エデリー騎手が馬場中央に持ち出すと末脚を解き放ちました。父と同じ桃色の帽子に「薄緑、桃襷、白袖」の勝負服を背にしたWemyss Bight、先に抜け出したRoyal Ballerina(1990.4.16)を捉えると半馬身差抑えたところがゴールポスト。Wemyss Bight自身初のGI勝利は父の産駒として初めての牝馬クラシック制覇、オーナーブリーダーであるジャドモントファームと管理された名伯楽アンドレ・ファーブル調教師にとっても初めての愛オークス優勝となりました。またエデリー騎手は1986年のColorspin(1983.3.16)に続く愛オークス2勝目でした。Colorspin、輸入種牡馬オペラハウス(1988.2.24)のお母さんですね。
今回のWemyss Bightの記事を以て、初めて意識をして見たクラシック世代を辿る(海外編)のシリーズではコマンダーインチーフ(1990.5.18)、ホワイトマズル(1990.3.21)に続いて3頭目のダンシングブレーヴ産駒の紹介となりました。1993年当時、月刊『優駿』の海外競馬ニュースにおいて、ダンシングブレーヴ産駒の活躍が記事になると「日本には凄い馬が種牡馬として輸入されているんやなぁ」と心が躍ったものです。



Wemyss Bightは結果的に愛オークスが最後の勝利となり3歳で競走生活から引退しました。Wemyss Bightは甥に英国短距離GI3勝にして名種牡馬のOasis Dream(2000.3.30)、姪に仏1000ギニー(GI)馬Zenda(1999.2.18)、そのZendaの仔に2014年のカルティエ賞年度代表馬Kingman(2011.2.26)と年少の近親に活躍馬が揃っていますが、Wemyss Bightの仔Beat Hollow(1997.3.22)もアーリントンミリオンS(米GI)、パリ大賞(仏GI)、マンハッタンH(米GI)、ターフクラシック(米GI)とGI4勝馬。ダンシングブレーヴがブルードメアサイアーとして送り出した初めての複数GI勝ち馬こそ、Wemyss Bightの仔Beat Hollowでした。
それでは、これから走る馬、人すべてが無事でありますように。
[Wemyss Bight(1990年)の主な競走成績]
- 愛オークス(GI)、マルレ賞(仏GII)、クレオパトル賞(仏GIII)、ペネロープ賞(仏GIII)
- ヴェルメイユ賞(仏GI)
通算9戦5勝、2着1回。
#Oasis Dream、Zendaの母にしてKingmanの祖母であるHope(1991.4.5)もダンシングブレーヴの娘であり、つまりはWemyss Bightの全妹。またダンシングブレーヴがブルードメアサイアーとして初めて送り出したGI馬は、1998年の伊オークス(GI)を制したZomaradah(1995.2.21)であり、Zomaradahの仔こそ21世紀のスーパーサイアーの一角であるDubawi(2002.2.7)。



