フジノマッケンオー 牡 黒鹿毛 1991.3.11生~2013.3.8没 新冠町・本桐牧場生産 馬主・中村 寛俊氏→高橋 文枝氏 栗東・中村 好夫厩舎→岩手・村上 実厩舎→荒尾・宇都宮 徳一厩舎
ブレイヴエストローマン 鹿毛 1972.5.19 種付け時活性値:0.50【18】 |
Never Bend 鹿毛 1960.3.15 |
Nasrullah 鹿毛 1940.3.2 |
Nearco 1935.1.24 |
Mumtaz Begum 1932 | |||
Lalun 鹿毛 1952 |
Djeddah 1945 | ||
Be Faithful 1942 | |||
Roman Song 鹿毛 1955.2.24 |
▲Roman 鹿毛 1937 |
★Sir Gallahad 1920 | |
Buckup 1928 | |||
Quiz Song 栗毛 1948 |
★Sun Again 1939 | ||
Clever Song 1936 | |||
ドミナスローズ 鹿毛 1981.4.20 仔受胎時活性値:0.25【9】 |
トウシヨウボーイ 鹿毛 1973.4.15 種付け時活性値:1.75【7】 |
テスコボーイ 黒鹿毛 1963 |
Princely Gift 1951 |
Suncourt 1952 | |||
ソシアルバターフライ 鹿毛 1957.4.13 |
Your Host 1947 | ||
Wisteria 1948 | |||
オフエル 黒鹿毛 1968.4.29 仔受胎時活性値:1.00【12】 |
シヤミエ 栃栗毛 1950 種付け時活性値:0.25【17】 |
Chamossaire 1942 | |
Therapia 1944 | |||
ミスリユウゲツ 黒鹿毛 1961.5.10 仔受胎時活性値:1.50【6】 |
ヒンドスタン 黒鹿毛 1946 種付け時活性値:1.50【14】 |
||
ウメヨシ 鹿毛 1943.4.3 仔受胎時活性値:0.25【17】 |
<5代血統表内のクロス:Nasrullah3×5>
父 | 母父 | 祖母父 | 曾祖母父 |
---|---|---|---|
ブレイヴエストローマン (Never Bend系) |
トウシヨウボーイ (Princely Gift系) |
シヤミエ (Hurry On系) |
ヒンドスタン (Bois Roussel系) |
形相の遺伝 | 料の遺伝 | 牝系 | 母の何番仔? |
トウシヨウボーイ (Blue Cyprus) |
3.00 |
母がGIII勝ち馬 (No. 2-d ウメハル系) |
4番仔 (4連産目) |
*
着 順 |
馬 番 |
馬名 | 性齢 |
斤 量 |
騎手 |
走破 時計 |
着差 |
通過 順位 |
上り 3F |
馬体重 [増減] |
調教師 |
人 気 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 5 | フジノマッケンオー | 牡3 | 54 | 岡部幸雄 | 1:38.3 | 3-2 | 38.6 |
500 [-4] |
中村好夫 | 1 | |
2 | 1 | マキバスクリーン | 牝6 | 54 | 橋本広喜 | 1:39.1 | 5 | 1-1 | 39.6 |
480 [-12] |
境直行 | 4 |
3 | 7 | イブキクラッシュ | 牡4 | 56 | 的場均 | 1:39.8 | 4 | 6-5 | 39.8 |
480 [-10] |
沖芳夫 | 2 |
4 | 4 | エイシンライジン | せん5 | 55 | 小池隆生 | 1:40.4 | 3.1/2 | 6-7 | 40.1 |
480 [-12] |
太宰義人 | 3 |
5 | 6 | セントラルマドンナ | 牝4 | 53 | 横山義行 | 1:40.5 | クビ | 5-5 | 40.5 |
472 [-8] |
加賀武見 | 7 |
*
着 順 |
馬 番 |
馬名 | 性齢 |
斤 量 |
騎手 |
走破 時計 |
着差 |
通過 順位 |
上り 3F |
馬体重 [増減] |
調教師 |
人 気 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 10 | フジノマッケンオー | 牡3 | 55 | 岡部幸雄 | 1:10.9 | 4-2 | 35.7 |
498 [-2] |
中村好夫 | 1 | |
2 | 9 | イブキクラッシュ | 牡4 | 56 | 的場均 | 1:11.1 | 1.1/4 | 2-2 | 36.0 |
480 [0] |
沖芳夫 | 6 |
3 | 1 | ビッグショウリ | 牡3 | 54 | 塩村克己 | 1:11.2 | クビ | 2-2 | 36.1 |
484 [-6] |
中尾正 | 4 |
4 | 11 | ヒシクレバー | 牡3 | 55 | 田中勝春 | 1:11.2 | ハナ | 1-1 | 37.1 |
472 [0] |
佐山優 | 2 |
5 | 8 | ダンディテシオ | 牡5 | 56 | 加藤和宏 | 1:11.4 | 1.1/2 | 8-5 | 35.6 |
462 [0] |
久恒久夫 | 5 |
*
1994年のJRA賞最優秀ダートホース、フジノマッケンオー。1994年に出走したダート競走では3戦3勝。現年齢表記3歳初戦となった阪神ダート1200mの500万下を制して、その後は秋に出走した↑で示した神無月S、根岸Sを岡部幸雄騎手の手綱で連勝。当年よりGIIに格上げとなったフェブラリーSの勝ち馬チアズアトム(1989.5.20)、暮れの中京のウインターS(GIII)を制したライブリマウント(1991.6.5)等を差し置いて最優秀ダートホースに選出されました。フジノマッケンオー、ダート3戦3勝負け無しはもちろん素晴らしいですし、それに上乗せして皐月賞(GI)3着、東京優駿(GI)4着、マイルチャンピオンシップ(GI)3着と牡馬クラシック及び古馬混合の芝のGIレースでも上位争いしており、芝ダート兼用の強さも評価されたのではないでしょうか。牡馬クラシックを制したのは、言わずもがなですが、ナリタブライアン(1991.5.3)。
個人的な思い出となりますけれど、フジノマッケンオーが3着した第11回マイルチャンピオンシップの当日、1994年11月20日は初めて競馬場に行った日でした。京都競馬場の決勝点前で観戦していた私、ノースフライト(1990.4.12)が悠然たる最終飛行を見せ、サクラバクシンオー(1989.4.14)がスプリント王の矜持で粘り、最後桃色の帽子に「白、赤山形二本輪」の勝負服を乗せた黒鹿毛のフジノマッケンオーが大外から鋭く追い込んだレースは、生涯忘れることのない一戦です。そうして4着にアラン・ムンロ騎手騎乗のホッカイセレス(1990.4.28)、5着にビコーペガサス(1991.2.8)。「1番人気が必ず連対する」というマイルチャンピオンシップの神話が継続された最後の回は、1番人気から5番人気の馬たちがそのまま人気順の通りに上位5頭を占めたのでした。
そしてまたフジノマッケンオーの半姉ドミナスクリスタル(1990.2.25)は、私が初めて意識をして見たクラシック世代である1990年生まれ世代の牝馬であり、種牡馬クリスタルグリツターズ(1980.5.30)の日本供用初年度産駒の1頭。1993年の初戦となったKBS京都紅梅賞(OP)において、アローム(1990.4.4)-レインボーダリア(2007.4.27)のお母さん-を下して勝利を収めました。その後マーガレットS(OP)も制していますし、1994年の第1回札幌スプリントS(GIII)でも3着に入るなど頑張っていました。美しい栗毛の牝馬だったドミナスクリスタル、紅梅賞を制した際の写真が、関西版「週刊競馬ブック」の裏表紙に長く使われていたのも懐かしい思い出です。
*
ひとつ前の「20世紀のJRA賞最優秀ダートホースを辿る」記事で、同じブレイヴェストローマン産駒であるメイショウホムラ(1988.2.17)を紹介した際、
「ブレイヴェストローマンの牡馬の代表産駒は、実は地味に良い種牡馬」と記しました。Mill Reef(1968.2.23)やRiverman(1969.3.22)を経由しないNever Bend系における、日本の旗頭とも言うべき種牡馬であったブレイヴェストローマン。競走馬として長きに渡り活躍し続けたフジノマッケンオーにも2代目種牡馬としての期待が掛かりましたが、フジノマッケンオーは牝馬に興味を示さなかったそうな。フジノマッケンオー、世俗を超越していたのでしょうか、存命時のエピソードを引いておきますと、
「これほど大人しく賢い馬はちょっといない」と絶賛するほどである。「噛む、蹴る、(前肢で)叩く、という他の馬がやりそうな悪さは一度も見たことがない。」と断言するくらいだ。圧巻だったのは、この馬の馬房に迷い込んでしまった幼児がマッケンオーの腹の下に入った時、静かに体を移動させて幼児を守ったというエピソード。
現役時代に見た三白眼も印象に残るフジノマッケンオー。その実は、心優しきジェントルマンでした。
それでは、これから走る馬、人すべてに幸多からんことを。
*
[フジノマッケンオー(1991.3.11)の主な競走成績]
- セントウルS(GIII)、ダービー卿チャレンジT(GIII)、根岸S(GIII)、さきたま杯(統一GIII)
- マイラーズC(GII)、スプリングS(GII)、黒船賞(統一GIII)、クラスターC(統一GIII)
- 皐月賞(GI)、マイルチャンピオンシップ(GI)、東京新聞杯(GIII)
通算61戦8勝、2着8回、3着6回(内ダート戦34戦5勝、2着3回、3着1回)。