ハイセイコー 牡 黒鹿毛 1970.3.6生~2000.5.4没 新冠・武田牧場生産 馬主・(株)王優→ホースマンクラブ 大井・伊藤正美厩舎→東京・鈴木勝太郎厩舎
★ チヤイナロツク(GB) 栃栗毛 1953 種付け時活性値:0.00【16】 |
Rockefella 黒鹿毛 1941 |
Hyperion 栗毛 1930.4.18 |
Gainsborough 1915.1.24 |
Selene 1919 | |||
Rockfel 黒鹿毛 1935 |
Felstead 1925 | ||
Rockliffe 1928 | |||
May Wong 栗毛 1934 |
Rustom Pasha 鹿毛 1927 |
Son-in-Law 1911 | |
Cos 1920 | |||
Wezzan 栗毛 1924 |
Friar Marcus 1912 | ||
Woodsprite 1916 | |||
ハイユウ 黒鹿毛 1961.4.1 仔受胎時活性値:2.00【8】 |
カリム(IRE) 鹿毛 1953 種付け時活性値:1.75【7】 |
Nearco 黒鹿毛 1935.1.24 |
Pharos 1920.4.4 |
Nogara 1928 | |||
Skylarking 栗毛 1947 |
Mirza 1935 | ||
Jennie 1936 | |||
ダルモーガン(AUS) 黒鹿毛 1950.8.12 仔受胎時活性値:0.375【9.5】 |
Beau Son(AUS) 黒鹿毛 1938 種付け時活性値:0.75【11】 |
Beau Pere 1927 | |
Banita 1933 | |||
Reticent(AUS) 鹿毛 1941 仔受胎時活性値:2.00(0.00)【8】 |
Hua(AUS) 鹿毛 1934 種付け時活性値:1.50【6】 |
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Timid(GB) 鹿毛 1922 仔受胎時活性値:0.625【18.5】 |
<5代血統表内のクロス:Son-in-Law4×5>
父 | 母父 | 祖母父 | 曾祖母父 |
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★チヤイナロツク (Rockefella系) |
カリム (Nearco系) |
Beau Son (Son-in-Law系) |
Hua (Cyllene系) |
形相の遺伝 | 料の遺伝 | 牝系 | 母の何番仔? |
カリム (Prestige) |
5.00 or 3.00 | 豪州牝系 (No.12-g) |
3番仔? |
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着 順 |
馬 番 |
馬名 | 性齢 | 騎手 | 走破 時計 |
着差 | 調教師 | 人 気 |
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1 | 7 | ハイセイコー | 牡3 | 増沢 末夫 | 2:06.7 | 鈴木 勝太郎 | 1 | |
2 | 1 | カネイコマ | 牡3 | 蛯沢 誠治 | 2:07.1 | 2・1/2 | 成宮 明光 | 6 |
3 | 13 | ホウシユウエイト | 牡3 | 野平 祐二 | 2:07.1 | アタマ | 日迫 淸 | 2 |
4 | 12 | イチフジイサミ | 牡3 | 郷原 洋行 | 2:07.3 | 1・1/2 | 松永 光雄 | 10 |
5 | 5 | シヤダイオー | 牡3 | 中島 啓之 | 2:07.6 | 1・3/4 | 上田 武司 | 7 |
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着 順 |
馬 番 |
馬名 | 性齢 | 騎手 | 走破 時計 |
着差 | 調教師 | 人 気 |
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1 | 10 | ハイセイコー | 牡4 | 増沢 末夫 | 2:12.9 | レコード | 鈴木 勝太郎 | 2 |
2 | 8 | クリオンワード | 牡4 | 安田 伊佐夫 | 2:13.7 | 5 | 栗田 勝 | 3 |
3 | 9 | トーヨーチカラ | 牡4 | 田島 良保 | 2:13.9 | 1 | 斉藤 義美 | 8 |
4 | 1 | シヤダイオー | 牡4 | 中島 敏文 | 2:14.1 | 1・1/4 | 上田 武司 | 11 |
5 | 4 | ベルワイド | 牡6 | 加賀 武見 | 2:14.5 | 2・1/2 | 阿部 正太郎 | 6 |
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ハイセイコー。その成績を紐解けば、2200m以下の距離では[13-2-0-0]、2200mを超えると[0-2-2-3]。ハイセイコーは母父カリムの血に抗うべく距離に挑みましたが、本質はやはり「中距離の名馬」だったのでしょう。皐月賞、宝塚記念、高松宮杯、中山記念、弥生賞、スプリングS、NHK杯と1800mから2200mまでの中央重賞7勝を挙げたのでした。
こうなると2200m以下で敗れた2着2回が気になるもので、1回目が現年齢表記3歳10月の不良馬場の京都新聞杯でトーヨーチカラ(1970.5.11)に0秒1差、2回目が4歳11月の1800mのオープンで「オープン大将」にして最後の中央20勝馬かも知れないヤマブキオー(1970.4.11)に0秒3差でした。
もっとも、そんな記録で推し量れないのが、ハイセイコー。「東京都 ハイセイコー様」で郵便物が届くという伝説を残した馬は、後にも先にも、ハイセイコーだけです。
そしてまた、ハイセイコーが「特別な馬」たる所以は、自身が3着に敗れた東京優駿は初年度産駒カツラノハイセイコ(1976.5.13)が勝利を収めたことにより「ダービー馬の父」となり、サンドピアリス(1986.5.17)でビックリさせ、そしてハクタイセイ(1987.4.17)が父仔2代の皐月賞制覇を飾る等、世代重ねても輝きを失わなかったところ。
ハイセイコー。やはり、空前にして絶後の「特別な馬」でした。
それでは、これから走る馬、人すべてに幸多からんことを。
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[ハイセイコー(1970.3.6)の主な競走成績]
- 皐月賞、宝塚記念、高松宮杯、中山記念、NHK杯、スプリングS、弥生賞、青雲賞
- 有馬記念、菊花賞、京都新聞杯
- 東京優駿、有馬記念
通算22戦13勝、2着4回、3着2回。
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#余談。
中央時代の主戦騎手が歌を歌って50万枚以上レコードを売り上げられる馬もハイセイコーだけ。
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ハイセイコーさん、生まれ故郷が同じ武田牧場の大先輩なんよね。NHK杯勝ち馬の先輩でもあるし。
ハイセイコーさんのNHK杯勝ちも衝撃的でしたが、兄さんのNHK杯勝ちもかなりの強さでした。
ありがとうさん。