ピルサドスキー(Pilsudski) 牡 鹿毛 1992.4.23生 愛国・Ballymacoll Stud Co生産 馬主・Lord Weinstock 英国・Sir Michael Stoute厩舎
Polish Precedent 鹿毛 1986.3.16 種付け時活性値:1.25【5】 |
★ Danzig 鹿毛 1977.2.12 |
Northern Dancer 鹿毛 1961.5.27 |
Nearctic 1954.2.11 |
Natalma 1957.3.26 | |||
Pas de Nom 黒鹿毛 1968.1.27 |
★Admiral’s Voyage 1959.3.23 | ||
Petitioner 1952 | |||
Past Example 栗毛 1976.4.23 |
Buckpasser 鹿毛 1963.4.28 |
Tom Fool 1949.3.31 | |
Busanda 1947 | |||
Bold Example 鹿毛 1969.4.28 |
ボールドラツド(USA) 1962.4.23 | ||
Lady Be Good 1956.3.9 | |||
Cocotte 鹿毛 1983.2.21 仔受胎時活性値:2.00(0.00)【8】 |
Troy 鹿毛 1976.3.25 種付け時活性値:1.50【6】 |
Petingo 鹿毛 1965 |
Petition 1944 |
Alcazar 1957 | |||
La Milo 栗毛 1963 |
Hornbeam 1953 | ||
Pin Prick 1955 | |||
Gay Milly 鹿毛 1977.4.5 仔受胎時活性値:1.25【5】 |
★Mill Reef 鹿毛 1968.2.23 種付け時活性値:0.00【8】 |
Never Bend 1960.3.15 | |
Milan Mill 1962.2.10 | |||
Gaily 黒鹿毛 1971.4.23 仔受胎時活性値:1.25【5】 |
Sir Gaylord 鹿毛 1959.2.12 種付け時活性値:0.75【11】 |
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Spearfish 黒鹿毛 1963.4.27 仔受胎時活性値:1.75【7】 |
<5代血統表内のクロス:Petition5×4>
父 | 母父 | 祖母父 | 曾祖母父 |
---|---|---|---|
Polish Precedent (Danzig系) |
Troy (Fairway系) |
★Mill Reef (Never Bend系) |
Sir Gaylord (Turn-to系) |
形相の遺伝 | 料の遺伝 | 牝系 | 母の何番仔? |
Troy (Cocotte) |
6.25 or 4.25 |
半妹ファインモーション (No. 11) |
5番仔 (5連産目) |
*
着 順 |
馬 番 |
馬名 | 性齢 | 騎手 |
走破 時計 |
着差 | 調教師 |
人 気 |
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1 | 3 | ピルサドスキー | 牡5 | M.キネーン | 2:25.8 | M.スタウト | 3 | |
2 | 9 | エアグルーヴ | 牝4 | 武 豊 | 2:25.8 | クビ | 伊藤 雄二 | 2 |
3 | 13 | バブルガムフェロー | 牡4 | 岡部 幸雄 | 2:26.0 | 1・1/4 | 藤沢 和雄 | 1 |
4 | 12 | カイタノ | 牡3 | A.スターク | 2:26.1 | クビ | B.シュッツ | 6 |
5 | 1 | シルクジャスティス | 牡3 | 藤田 伸二 | 2:26.2 | クビ | 大久保 正陽 | 4 |
1997年の第17回ジャパンカップ。レース前から主役は決まっていたようなものでした。下見所で「ぶらーん」と馬っ気を出していたのは、お茶目な重戦車、ピルサドスキー。戦前までブリーダーズカップ・ターフ(米GI)、エクリプスS(英GI)、英チャンピオンS(GI)、愛チャンピオンS(GI)、バーデン大賞(独GI)と、欧米の中距離主要GI5勝の実績馬のその姿に、ファンはちょっと、いえだいぶん心配を覚えたのです。
けれどピルサドスキー、本番ではサスガの集中力を見せました。レースは中団やや後方に待機し、スローペースの流れの中で内々を徐々に進出。そして直線、エアグルーヴ(1993.4.6)が先に抜け出したところを、内から猛然と襲い掛ったのが、ピルサドスキー。ええ、大和撫子の尻を追ったイングリッシュジェントルマンという構図(^_^;)。472kgのイイ女に迫った502kgの鹿毛馬がクビを低く伸ばし、赤い帽子にウェインストック卿の白い勝負服をまとった鞍上の右ムチに応え、「ダテに種牡馬にはなりません!!」とフジテレビ系列の中継では堺正幸アナウンサーに叫ばせて、最後は1着でゴールイン。欧米で戦ってきた相手が超一線級ならば、ピルサドスキー自身も超一線級。世界の最前線で戦ってきた馬のプライドが、そこには見えました。そして、この勝利により、前年第16回のSingspiel(シングスピール。1992.2.25)に続き、「Sir」マイケル・スタウト調教師は、調教師として初めてとなるジャパンカップ連覇にして2勝目となりました。
2着に敗れたエアグルーヴ。実はかつて1回だけ、彼女にキネーン騎手が騎乗されたことがありました。1995年の阪神3歳牝馬S(GI)。ビワハイジ(1993.3.7)の2着となった際の鞍上が、キネーン騎手だったのです。「その1回の騎乗でマイケル・キネーンという騎手はエアグルーヴを知ってしまった。それがあのジャパンカップで仇となった」ということを伊藤雄二調教師のインタビュー記事で見た記憶があり、馬に携わるプロの凄さを思ったものです。また、血統的な奇縁が巡り、後に伊藤雄二調教師と武豊騎手とのコンビでGIを2勝する、ピルサドスキーの半妹が現れます。ご存知ファインモーション(1999.1.27)。エアグルーヴでピルサドスキーに敗れた人々が、ピルサドスキーの半妹をGI馬に育てる。ピルサドスキーとエアグルーヴを巡り、馬も人も、不思議な因縁があったものです。
ピルサドスキーとファインモーション。私にとっても強烈な印象を残してくれた兄妹でした。しかし、悲しいかな「世代を重ねる」となった時、兄妹共に、その能力の高さを伝えられなかったのが、ただただ残念なことでした。
それでは、これから走る馬、人すべてに幸多からんことを。
*
[ピルサドスキー(1992.4.23)の主な競走成績]
- ジャパンカップ(GI)、ブリーダーズカップ・ターフ(米GI)、エクリプスS(英GI)、英チャンピオンS(GI)、愛チャンピオンS(GI)、バーデン大賞(独GI)、ロイヤルホイップS(愛GIII)、ブリガディアジェラードS(英GIII)
- 凱旋門賞(仏GI)2回、”キング・ジョージ”(英GI)、ハードウィックS(英GII)、ゴードンリチャーズS(英GIII)
- ガネー賞(仏GI)
通算22戦10勝、2着6回、3着2回。
*
余談。↑の結果にある4着に入ったCaitano(カイタノ。1994.4.20)の鞍上は「A.スターク」という表記です。
JRAのWEBページから結果を引いていますけれど、「A.スターク」騎手は「アンドレアシュ・シュタルケ」騎手ですね。
名前の表記は難しいもので「ピルサドスキー」もその馬名の由来に沿うのであれば「ピウスツキ」となっておかしくありませんが、最終的には英語読みの「ピルサドスキー」となりました。
本当に余談となりますけれど、川越宗一さんの著された第162回直木賞受賞作である「熱源」では、ピルサドスキーの馬名の由来となったユゼフ・ピウスツキの兄であるブロニスワフ・ピウスツキが主要人物として描かれています。ブロニスワフ・ピウスツキは、白老町にある国立アイヌ民族博物館に胸像がポーランドより贈られるなど、現在の日本に縁のある人物でした。