メジロパーマー 牡 鹿毛 1987.3.21生~2012.4.7没 伊達市・メジロ牧場生産 馬主・(有)メジロ牧場 栗東・大久保 正陽厩舎
メジロイーグル 鹿毛 1975.5.2 種付け時活性値:0.75【11】 |
メジロサンマン 鹿毛 1963.3.26 |
Charlottesville 鹿毛 1957 |
Prince Chevalier 1943 |
Noorani 1950 | |||
パラデイシア 鹿毛 1957 |
Aureole 1950 | ||
Chenille 1940 | |||
アマゾンウオリアー 鹿毛 1960.5.6 |
★Khaled 黒鹿毛 1943 |
Hyperion 1930.4.18 | |
Eclair 1930 | |||
War Betsy 栗毛 1948 |
War Relic 1938 | ||
Betsy Ross 1939 | |||
メジロフアンタジー 黒鹿毛 1981.2.18 仔受胎時活性値:1.25【5】 |
ゲイメセン 黒鹿毛 1975.5.16 種付け時活性値:1.25【5】 |
Vaguely Noble 鹿毛 1965 |
ヴイエナ 1957 |
Noble Lassie 1956 | |||
Gay Missile 鹿毛 1967.3.27 |
Sir Gaylord 1959.2.12 | ||
Missy Baba 1958.5.13 | |||
プリンセスリフアード 鹿毛 1975.2.5 仔受胎時活性値:1.25【5】 |
Lyphard 鹿毛 1969.5.10 種付け時活性値:1.25【5】 |
Northern Dancer 1961.5.27 | |
Goofed 1960.3.29 | |||
ノーラツク 黒鹿毛 1968.4.25 仔受胎時活性値:1.50【6】 |
Lucky Debonair 鹿毛 1962.5.2 種付け時活性値:1.25【5】 |
||
No Teasing 黒鹿毛 1957.4.7 仔受胎時活性値:0.50【10】 |
<5代血統表内のクロス:Aureole4×5、Hyperion4×5(父方)、Nearco5×5>
父 | 母父 | 祖母父 | 曾祖母父 |
---|---|---|---|
メジロイーグル (Prince Chevalier系) |
ゲイメセン (Aureole系) |
Lyphard (Northern Dancer系) |
Lucky Debonair (Swynford系) |
形相の遺伝 | 料の遺伝 | 牝系 | 母の何番仔? |
ゲイメセン | 4.50 |
大叔父モガミ (No. 1-s) |
2番仔 (2連産目) |
*
着 順 |
馬 番 |
馬名 | 性齢 |
斤 量 |
騎手 |
走破 時計 |
着差 |
通過 順位 |
上り 3F |
馬体重 [増減] |
調教師 |
人 気 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 10 | メジロパーマー | 牡4 | 51 | 松永幹夫 | 2:00.9 | 2-1-1-1 | 37.0 |
458 [-2] |
大久保正陽 | 4 | |
2 | 7 | モガミチャンピオン | 牡6 | 55 | 小島太 | 2:01.0 | 1/2 | 14-15-12-14 | 36.3 |
500 [-2] |
境勝太郎 | 8 |
3 | 12 | カミノクレッセ | 牡4 | 54 | 南井克巳 | 2:01.1 | 3/4 | 16-15-14-7 | 36.2 |
500 [0] |
工藤嘉見 | 11 |
4 | 4 | ウィナーズゴールド | 牝4 | 52 | 柴田政人 | 2:01.1 | アタマ | 7-6-3-3 | 36.8 |
456 [+4] |
伊藤正徳 | 3 |
5 | 5 | ナエボオルフェ | 牡4 | 53 | 岡潤一郎 | 2:01.1 | アタマ | 3-3-2-2 | 37.1 |
502 [-4] |
安藤正敏 | 6 |
*
着 順 |
馬 番 |
馬名 | 性齢 |
斤 量 |
騎手 |
走破 時計 |
着差 |
通過 順位 |
上り 4F |
馬体重 [増減] |
調教師 |
人 気 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 4 | メジロパーマー | 牡5 | 54 | 山田泰誠 | 2:13.4 | 1-1-1-1 | 48.5 |
468 [+4] |
大久保正陽 | 7 | |
2 | 11 | タニノボレロ | 牡4 | 54 | 小谷内秀夫 | 2:14.1 | 4 | 8-7-4-2 | 48.7 |
472 [-2] |
戸山為夫 | 3 |
3 | 10 | シャコーグレイド | 牡4 | 57 | 蛯名正義 | 2:14.8 | 4 | 11-12-6-6 | 49.2 |
466 [+4] |
矢野照正 | 1 |
4 | 1 | イクノディクタス | 牝5 | 55 | 内田国夫 | 2:14.9 | クビ | 4-4-6-6 | 49.3 |
460 [+4] |
福島信晴 | 5 |
5 | 2 | シュバリエ | 牡5 | 53 | 小野次郎 | 2:15.0 | 1/2 | 2-3-2-2 | 49.9 |
496 [0] |
高松邦男 | 9 |
*
着 順 |
馬 番 |
馬名 | 性齢 | 騎手 |
走破 時計 |
着差 | 調教師 |
人 気 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 12 | メジロパーマー | 牡5 | 山田 泰誠 | 2:18.6 | 大久保 正陽 | 9 | |
2 | 6 | カミノクレッセ | 牡5 | 南井 克巳 | 2:19.1 | 3 | 工藤 嘉見 | 1 |
3 | 5 | ミスタースペイン | 牡4 | 石橋 守 | 2:19.8 | 4 | 橋口 弘次郎 | 3 |
4 | 2 | オースミロッチ | 牡5 | 松本 達也 | 2:20.6 | 5 | 中尾 正 | 12 |
5 | 3 | ダイタクヘリオス | 牡5 | 岸 滋彦 | 2:20.6 | アタマ | 梅田 康雄 | 2 |
1992年の第33回宝塚記念。宝塚記念が「メジロ記念」となった、1987年生まれ世代の同期生3頭による、1991年から1993年までの1着のリレー。その2番手を担ったメジロパーマーは、前走新潟大賞典4馬身差勝ちから挑んだ勢いそのままに、13頭立て9番人気をあざ笑うかのように独走でGI初勝利を収めたのでした。また、中島国治氏の配合馬であるカミノクレッセ(1987.5.30)は、今に語り継がれる「春の古馬GIレース3戦連続2着」という銀字塔(!?)を打ち立てのでした。
*
着 順 |
馬 番 |
馬名 | 性齢 | 騎手 |
走破 時計 |
着差 | 調教師 |
人 気 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 3 | メジロパーマー | 牡5 | 山田 泰誠 | 2:33.5 | 大久保 正陽 | 15 | |
2 | 6 | レガシーワールド | せん3 | 小谷内 秀夫 | 2:33.5 | ハナ | 戸山 為夫 | 5 |
3 | 1 | ナイスネイチャ | 牡4 | 松永 昌博 | 2:33.7 | 1・1/4 | 松永 善晴 | 4 |
4 | 7 | レッツゴーターキン | 牡5 | 大崎 昭一 | 2:33.7 | クビ | 橋口 弘次郎 | 10 |
5 | 9 | オースミロッチ | 牡5 | 松本 達也 | 2:33.8 | 1/2 | 中尾 正 | 11 |
1992年の第37回有馬記念。春のグランプリ制覇がフロック視されたメジロパーマー。けれど、伊達や酔狂でGI勝ち馬になれるものではありません。自身を信じてくれた鞍上の期待に応えて、メジロパーマー。道中ダイタクヘリオス(1987.4.10)に突っつかれ加減になったものの、気分は損ねず、決勝点まで粘り切ったのでした。しっかし、最後の最後、内から凄い脚で伸びて来たレガシーワールド(1989.4.23)に交わされたのかと思いきや、しっかりハナだけ抑え切っていたのは「サスガ」としか言えません^^;
*
着 順 |
馬 番 |
馬名 | 性齢 |
斤 量 |
騎手 |
走破 時計 |
着差 |
通過 順位 |
上り 4F |
馬体重 [増減] |
調教師 |
人 気 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 5 | メジロパーマー | 牡6 | 59 | 山田泰誠 | 3:09.2 | レコード | 1-1-1-1 | 50.2 |
474 [0] |
大久保正陽 | 3 |
2 | 2 | タケノベルベット | 牝4 | 56 | 武豊 | 3:09.3 | 1/2 | 8-8-6-5 | 48.9 |
448 [+4] |
小林稔 | 2 |
3 | 7 | ナイスネイチャ | 牡5 | 58 | 南井克巳 | 3:09.4 | クビ | 5-5-4-2 | 49.5 |
506 [+8] |
松永善晴 | 1 |
4 | 9 | エリモパサー | 牡6 | 57 | 猿橋重利 | 3:10.2 | 5 | 2-2-2-2 | 50.6 |
520 [0] |
沖芳夫 | 8 |
5 | 11 | レッツゴーターキン | 牡6 | 59 | 大崎昭一 | 3:11.2 | 6 | 3-3-3-4 | 51.5 |
454 [0] |
橋口弘次 | 4 |
1993年の第41回阪神大賞典。阪神大賞典というレースは、いつの時代も強い馬が何かしらの記憶を残してくれるレースです。もしかしたらもう見られないかも知れない、JRAの別定GIIにおける斤量59kg。GI馬の証である斤量を背負ったメジロパーマー。大逃げを打ち、最後の直線でナイスネイチャ(1988.4.16)に競りかけられたものの退け、タケノベルベット(1989.3.13)の追撃も許さず、3分9秒2という馬場が重かった当時の阪神芝3000mのレコードタイムでの勝利を収めました。
*
メジロパーマー。真に強くなければGI2勝、GII1勝、GIII2勝の重賞5勝は果たせません。名コンビだった山田泰誠騎手の言のとおりパーマーは本当に強い馬なんです
。結果的に引退レースとなった現年齢表記7歳の日経新春杯(GII)でも、60.5kgの斤量を背負いながら、ちゃんと2着に踏ん張っていました。
強いものは強い。メジロパーマー、私が競馬者としての最初期に出会った、印象深い名馬の1頭です。
それでは、これから走る馬、人すべてに幸多からんことを。
*
[メジロパーマー(1987.3.21)の主な競走成績]
- 有馬記念(GI)、宝塚記念(GI)、阪神大賞典(GII)、札幌記念(GIII)、新潟大賞典(GIII)
- 日経新春杯(GII)
- 天皇賞・春(GI)
通算38戦9勝、2着5回、3着2回。
#メジロパーマーの父メジロイーグルは中央19戦7勝で京都新聞杯を勝ち、菊花賞3着、有馬記念3着、皐月賞4着、宝塚記念4着、東京優駿5着と活躍した逃げ馬。種牡馬として稼働年数12年で種付け総数97頭、産駒総数52頭。唯一の重賞勝ち産駒が、孝行息子となったメジロパーマーでした。
「競馬最強の法則」での記事だった記憶していますが、中島国治氏が「メジロイーグルを付けさせて欲しい牝馬がいる」と、北野豊吉氏に依頼されたところ「よその牝馬には付けさせない。1頭でも仔が増えたらウチの馬が走らなくなる」と言って、断られたことがあったそうな。むぅ。恐るべしはメジロ牧場創始者の信念。