シンボリルドルフ 牡 鹿毛 1981.3.13生~2011.10.4没 門別・シンボリ牧場生産 馬主・シンボリ牧場 美浦・野平祐二厩舎
パーソロン 鹿毛 1960 種付け時活性値:1.00【20】 |
Milesian 鹿毛 1953 |
My Babu 鹿毛 1945.3.2 |
Djebel 1937 |
Perfume 1938 | |||
Oatflake 鹿毛 1942 |
Coup de Lyon 1930 | ||
Avena 1936 | |||
Paleo 鹿毛 1953 |
★Pharis 黒鹿毛 1936 |
Pharos 1920.4.4 | |
Carissima 1923 | |||
Calonice 栗毛 1940 |
Abjer 1933 | ||
Coronis 1935 | |||
スイートルナ 栗毛 1972.5.4 仔受胎時活性値:2.00【8】 |
★ スピードシンボリ 黒鹿毛 1963.5.3 種付け時活性値:0.00【8】 |
ロイヤルチヤレンヂヤー 栗毛 1951 |
★Royal Charger 1942 |
Skerweather 1936 | |||
スイートイン 鹿毛 1958.2.23 |
ライジングライト 1942 | ||
フイーナー 1949 | |||
ダンスタイム 鹿毛 1957 仔受胎時活性値:1.50【14】 |
Palestine 芦毛 1947 種付け時活性値:0.25【9】 |
Fair Trial 1932 | |
Una 1930 | |||
Samaritaine 芦毛 1949 仔受胎時活性値:1.75【7】 |
Maravedis 鹿毛 1931 種付け時活性値:0.25【17】 |
||
Sarita 芦毛 1936 仔受胎時活性値:1.00【12】 |
<5代血統表内のクロス:Tourbillon5×5(父方)>
父 | 母父 | 祖母父 | 曾祖母父 |
---|---|---|---|
パーソロン (My Babu系) |
★スピードシンボリ (Royal Charger系) |
Palestine (Fairway系) |
Maravedis (St.Simon系) |
形相の遺伝 | 料の遺伝 | 牝系 | 母の何番仔? |
パーソロン (My Babu) |
6.25 (【8】+【14】+【7】+【12】) |
全兄シンボリフレンド (No. 11-c) |
4番仔 (不受胎後) |
*
着 順 |
馬 番 |
馬名 | 性齢 | 騎手 | 走破 時計 |
着差 | 調教師 | 人 気 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 10 | シンボリルドルフ | 牡3 | 岡部 幸雄 | 2:29.3 | 野平 祐二 | 1 | |
2 | 19 | スズマッハ | 牡3 | 大崎 昭一 | 2:29.6 | 1・3/4 | 仲住 芳雄 | 20 |
3 | 6 | フジノフウウン | 牡3 | 増沢 末夫 | 2:29.6 | アタマ | 栗田 博憲 | 7 |
4 | 3 | スズパレード | 牡3 | 田村 正光 | 2:29.6 | ハナ | 富田 六郎 | 4 |
5 | 8 | ニシノライデン | 牡3 | 伊藤 清章 | 2:30.3 | 4 | 伊藤 修司 | 9 |
東京芝2400m、晴の良馬場、21頭立て。
かたや5戦5勝の無敗で皐月賞(GI)を制したシンボリルドルフ、こなた8戦6勝2着2回でシンボリルドルフ以外の馬には負けていないビゼンニシキ(1981.4.26)。
そんな2頭の3度目の対決となった「SBダービー」。とは言うものの、シンボリルドルフの単勝1.3倍のオッズが示すように「勝つのはルドルフだろう」というのが大勢でした。けれど、競馬の神様は「勝つというのはそう簡単なことではない」ということを「人」に対しては見せたのでした。
オーナー、調教師、騎手、そしてファンを慌てさせたという、東京競馬場の大欅(本当は榎)の向こう側。岡部幸雄騎手のゴーサインに反応しないシンボリルドルフ。しかし、競馬の神様の顕現たる「馬」シンボリルドルフはすべて分かっていたのでした。「なに慌ててんの? 勝負は直線でしょ?」。そうして直線の半ばを迎えた頃には、シンボリルドルフ自らの意志で前に行く馬たちを捕まえに行って、最後はあっさり。名手・岡部幸雄をして「(シンボリ)ルドルフに競馬を教えてもらった」と言わしめました。
シンボリルドルフは6戦6勝、無敗で皐月賞、東京優駿の牡馬クラシック二冠を達成。無敗の二冠馬はトキノミノル(1948.5.2)、コダマ(1957.4.15)に続いて日本中央競馬会史上3頭目。生産のシンボリ牧場はサクラショウリ(1975.3.1)に続いて2頭目の東京優駿勝ち馬、馬主としてのシンボリ牧場は東京優駿初勝利、管理された「ミスター競馬」野平祐二調教師も悲願のダービー初制覇、鞍上の岡部騎手もやはり初優勝となったのでした。
シンボリルドルフは史上3頭目の無敗の二冠馬ということで、三冠馬を含む、2024年現在までの無敗の二冠馬を確認してみますと、
- トキノミノル(1948.5.2)
- コダマ(1957.4.15)
- シンボリルドルフ(1981.3.13)
- トウカイテイオー(1988.4.20)
- ミホノブルボン(1989.4.25)
- ディープインパクト(2002.3.25)
- コントレイル(2017.4.1)
シンボリルドルフ&トウカイテイオー、ディープインパクト&コントレイルという「父と仔」の姿が見えますが、今年は「祖父と孫」の無敗の二冠馬が見られるかも知れません。ディープインパクトの孫、ジャスティンミラノ(2021.4.9)。
*
その日、私はNHK杯を2着したトウホーカムリのオーナー、河村沢治氏と観戦していた。私は、
「今日のビゼンニシキの闘争心はゼロだね。シンボリルドルフの対抗はスズマッハとスズパレードの2頭だ」
と話した。
スズマッハはNHK杯の直線で7番手から1頭抜いて6着に来た馬で、他のダービーの出走馬に対してコンプレックスを持っていない。スズパレードは前走が皐月賞で、後方から追い上げて何頭かを抜き、スピードが落ちなかった馬である。この2頭だけが闘争心を依然として維持している特注馬で、それ以外の馬にはコンプレックスがある。これが私の考えであった。
–KKベストセラーズ、中島国治著「血とコンプレックス」、P37~P38より-
1984年の第51回東京優駿において、出走21頭中20番人気という日本で言うところのブービー人気だったスズマッハ(1981.3.10)。それでもダービー2勝ジョッキー・大崎昭一騎手と共に逃げると、最後はシンボリルドルフには1と4分の3馬身差を着けられましたが、フジノフウウン(1981.4.24)、いとこスズパレード(1981.3.21)との「アタマ」「ハナ」の勝負には先んじました。
スズマツハ 牡 鹿毛 1981.3.10生~2010.3.24没 浦河・荻伏牧場生産 馬主・小紫 芳夫氏 美浦・仲住 芳雄厩舎
ラツキーソブリン 鹿毛 1974.1.28 種付け時活性値:1.50【6】 |
Nijinsky 鹿毛 1967.2.21 |
Northern Dancer 鹿毛 1961.5.27 |
Nearctic 1954.2.11 |
Natalma 1957.3.26 | |||
Flaming Page 鹿毛 1959.4.24 |
Bull Page 1947 | ||
Flaring Top 1947.3.27 | |||
Sovereign 鹿毛 1965 |
Pardao 栗毛 1958 |
Pardal 1947 | |
Three Weeks 1946 | |||
Urshalim 鹿毛 1951 |
Nasrullah 1940.3.2 | ||
Horama 1943 | |||
スズサフラン 鹿毛 1973.5.9 仔受胎時活性値:1.75【7】 |
ネヴアービート 栃栗毛 1960 種付け時活性値:1.00【12】 |
★Never Say Die 栗毛 1951.3.26 |
Nasrullah 1940.3.2 |
Singing Grass 1944 | |||
Bride Elect 栗毛 1952 |
Big Game 1939 | ||
Netherton Maid 1944 | |||
スズキール 鹿毛 1967.3.28 仔受胎時活性値:1.25【5】 |
ヴイミー 黒鹿毛 1952 種付け時活性値:1.50【14】 |
Wild Risk 1940 | |
Mimi 1943 | |||
マツトミ 鹿毛 1959.5.21 仔受胎時活性値:1.75【7】 |
ヒンドスタン 黒鹿毛 1946 種付け時活性値:1.00【12】 |
||
エベレスト 鹿毛 1945.3.23 仔受胎時活性値:1.25【13】 |
<5代血統表内のクロス:Nasrullah4×4、Big Game4×5、Nearco5×5×5×5>
父 | 母父 | 祖母父 | 曾祖母父 |
---|---|---|---|
ラツキーソブリン (Nijinsky系) |
ネヴアービート (Never Say Die系) |
ヴイミー (Wild Risk系) |
ヒンドスタン (Bois Roussel系) |
形相の遺伝 | 料の遺伝 | 牝系 | 母の何番仔? |
ラツキーソブリン | 6.00 (【7】+【5】+【7】+【13】) |
いとこスズパレード (No. 7-c アストニシメント系) |
2番仔 (2連産目) |
東京優駿2着の後、セントライト記念(GIII)3着、京都新聞杯(GII)3着、菊花賞(GI)4着、有馬記念(GI)4着、安田記念(GI)2着、エプソムC(GIII)1着。1984年の有馬記念はシンボリルドルフ、カツラギエース(1980.4.24)、ミスターシービー(1980.4.7)に続いての4着でしたし、ぶっつけとなった1985年の安田記念でもニホンピロウイナー(1980.4.27)から4分の3馬身の2着。スズマッハ、1981年生まれ世代の東京優駿2着馬としてシンボリルドルフはもちろんですが、年長の強豪たちを相手にGIでも善戦しました。
↑で「いとこスズパレード」と記載しましたけれど、スズマッハは紛うことなく良血馬でした。
スズキール 1967.3.28 0勝 |スズボタン 1972.5.13 4勝 ||スズパレード 1981.3.21 12勝 宝塚記念(GI) 中山記念(GII) 金杯(GIII) オールカマー(GIII) ダービー卿チャレンジT(GIII)2回 福島記念(GIII) ラジオたんぱ賞(GIII)ほか |スズサフラン 1973.5.9 7勝 東京新聞杯ほか ||スズマツハ 1981.3.10 (本馬) 3勝 エプソムC(GIII)ほか
小岩井農場の基礎輸入牝馬の1頭であるアストニシメント(1902)の末えいであったスズマッハ。母スズサフランも東京新聞杯の勝ち馬であり、東京新聞杯で負かした相手がミスターシービーの母であるシービークイン(1973.2.23)でした。
*
スズマッハ、終の棲家となった浦河のイーストスタッドでは、スズパレードと隣同士の放牧地で大切に飼養されたそうです。スズパレードは2008年2月24日に27歳で先に逝ってしまい、冠名「スズ」でお馴染みであった小紫芳夫オーナーは2010年1月17日に82歳で死去されました。スズマッハ、小紫オーナーの後を追うように2ヶ月後の2010年3月24日に逝きました。29歳、大往生でした。
それでは、これから走る馬、人すべてが無事でありますように。
*
[シンボリルドルフ(1981.3.13)の主な競走成績]
- 東京優駿(GI)、ジャパンカップ(GI)、有馬記念(GI)2回、皐月賞(GI)、菊花賞(GI)、天皇賞・春(GI)、日経賞(GII)、セントライト記念(GIII)、弥生賞(GIII)
- 天皇賞・秋(GI)
- ジャパンカップ(GI)
通算16戦13勝、2着1回、3着1回。
[スズマツハ(1981.3.10)の主な競走成績]
- エプソムC(GIII)
- 東京優駿(GI)、安田記念(GI)
- 京都新聞杯(GII)、スプリングS(GII)、セントライト記念(GIII)
通算21戦3勝、2着2回、3着3回。
#トウホーカムリ(1981.5.4)のオーナーであった河村澤治氏は、スズマッハと同じ仲住芳雄厩舎の所属馬であったトウホーパール(1972.3.22)の馬主でもありました。トウホーパールはテスコガビー(1972.4.14)と同い年であり、オークストライアルの4歳牝馬特別において1着となり、テスコガビーにレースで勝った初めての牝馬となりました。仲住厩舎の「小政」トウホーパール、本番の優駿牝馬では「大政」テスコガビーが2着のソシアルトウショウ(1972..4.2)に8馬身差の大圧勝を収めた訳ですが、それでも3着に頑張りました。
##スズパレードの母であるスズボタンもテスコガビー、トウホーパールと同じく1972年生まれ世代の仲住厩舎の所属馬でした。はい、スズマッハの母スズサフランも仲住厩舎の所属馬。スズサフランは1歳年下のTTG世代、1973年生まれ世代でした。