ダイユウサク 牡 鹿毛 1985.6.12生~2013.12.8没 門別・優駿牧場生産 馬主・橋元 幸平氏 栗東・内藤 繁春厩舎
ノノアルコ 鹿毛 1971.4.6 種付け時活性値:1.25【13】 |
★ Nearctic 黒鹿毛 1954.2.11 |
Nearco 黒鹿毛 1935.1.24 |
Pharos 1920.4.4 |
Nogara 1928 | |||
Lady Angela 栗毛 1944 |
Hyperion 1930.4.18 | ||
Sister Sarah 1930 | |||
Seximee 栗毛 1966.5.27 |
Hasty Road 鹿毛 1951 |
Roman 1937 | |
Traffic Court 1938 | |||
Jambo 栗毛 1959.3.15 |
Crafty Admiral 1948.6.6 | ||
Bank Account 1948 | |||
クニノキヨコ 鹿毛 1977.4.7 仔受胎時活性値:1.75【7】 |
ダイコーター 鹿毛 1962.6.8 種付け時活性値:1.50【14】 |
ヒンドスタン 黒鹿毛 1946 |
Bois Roussel 1935 |
Sonibai 1939 | |||
ダイアンケー 鹿毛 1950.4.12 |
★Lillolkid 1941 | ||
Bonnie Luna 1941 | |||
クニノハナ 黒鹿毛 1967.6.4 仔受胎時活性値:0.25【9】 |
ネヴアービート 栃栗毛 1960 種付け時活性値:1.50【6】 |
★Never Say Die 1951.3.26 | |
Bride Elect 1952 | |||
アキイヅミ 鹿毛 1955.4.1 仔受胎時活性値:0.75【11】 |
クリノハナ 栗毛 1949.5.18 種付け時活性値:1.25【5】 |
||
アサミドリ 黒鹿毛 1947.5.19 仔受胎時活性値:1.75【7】 |
<5代血統表内のクロス:なし>
父 | 母父 | 祖母父 | 曾祖母父 |
---|---|---|---|
ノノアルコ (Nearctic系) |
ダイコーター (Bois Roussel系) |
ネヴアービート (Never Say Die系) |
クリノハナ (Blandford系) |
形相の遺伝 | 料の遺伝 | 牝系 | 母の何番仔? |
ダイコーター (クニノキヨコ) |
4.50 (【7】+【9】+【11】+【7】) |
祖母がビクトリアC勝ち馬 (No. 2-c ビデイスキヤリジヤー系) |
4番仔 (4連産目) |
*
着 順 |
馬 番 |
馬名 | 性齢 | 騎手 | 走破 時計 |
着差 | 調教師 | 人 気 |
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1 | 8 | ダイユウサク | 牡6 | 熊沢 重文 | 2:30.6 | レコード | 内藤 繁春 | 14 |
2 | 1 | メジロマックイーン | 牡4 | 武 豊 | 2:30.8 | 1・1/4 | 池江 泰郎 | 1 |
3 | 5 | ナイスネイチャ | 牡3 | 松永 昌博 | 2:31.1 | 1・3/4 | 松永 善晴 | 2 |
4 | 6 | プレクラスニー | 牡4 | 江田 照男 | 2:31.1 | クビ | 矢野 照正 | 3 |
5 | 4 | ダイタクヘリオス | 牡4 | 岸 滋彦 | 2:31.3 | 1・1/4 | 梅田 康雄 | 9 |
1F毎の ラップ |
6.9 – 10.9 – 11.4 – 11.4 – 12.0 – 12.7 – 13.0 – 12.3 – 11.8 – 12.1 – 12.0 – 11.8 – 12.3 |
---|---|
ラップの 累計タイム |
6.9 – 17.8 – 29.2 – 40.6 – 52.6 – 1:05.3 – 1:18.3 – 1:30.6 – 1:42.4 – 1:54.5 – 2:06.5 – 2:18.3 – 2:30.6 |
上り | 4F 48.2 – 3F 36.1 |
*
年 | 出走数 | 1着 | 2着 | 3着 | 着外 |
---|---|---|---|---|---|
1988 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 |
1989 | 15 | 5 | 4 | 1 | 5 |
1990 | 7 | 3 | 0 | 1 | 3 |
1991 | 8 | 3 | 1 | 0 | 4 |
1992 | 6 | 0 | 0 | 0 | 6 |
合計 | 38 | 11 | 5 | 2 | 20 |
1988年、現年齢表記3歳。デビュー戦、勝ち馬から13秒0差のドン尻負け…。2戦目、勝ち馬から7秒3差のドン尻負け……。ダイユウサクの競走成績 | 競走馬データ – netkeiba.comによりますと、初戦の上がり3ハロンは62秒3(!!)という泣き脚。3年後、芝2500mの日本レコードを叩き出す馬とは思えない競走馬デビューでしたが、ダイユウサクの2代目厩務員だった平田修厩務員(現調教師)によりますと「タイムオーバーになった時は熱発していたんです」ということ。
1989年、元号が昭和から平成となった4歳。ダイユウサクが片目を開いたこの年は5勝を遂げる活躍を見せました。
- 通算5戦目となった4月の新潟ダート1700mの400万下。テン乗りとなった出口隆義騎手騎乗で番手先行から抜け出して3馬身差で初勝利。12頭立て10番人気を跳ね返したあたりが、ダイユウサクらしい感もあります
- 芝レース初出走となった5月の京都芝1600mの400万下を「相棒」熊沢重文騎手との初コンビでタイム差なしの「アタマ」差勝ち。13頭立て9番人気を跳ね返したあたりが、やっぱりダイユウサクらしい感もあります
- 6月の中京芝2000mの900万下の御嶽特別を15頭立て1番人気に応えて1と2分の1馬身差勝ち。愛知県で実業を為したオーナーの橋元家や愛知県出身の内藤繁春調教師、熊沢騎手と縁の地での勝利でした
- 9月の阪神芝1200mの900万下を14頭立て2番人気で1着。初めての芝1200mに面食らったのか、それまでの番手先行ではなく中団追走からでしたが、終わってみれば3と2分の1馬身差の圧勝。差し脚の良さを知らしめる結果でした
- 9月の阪神芝1400mの900万下の甲東特別を14頭立て1番人気で「クビ」差1着。前走に続いての中団追走から鋭脚を発揮しての差し切り勝ち。単勝1.4倍の支持に見事応えてみせました
勝利したレースのみ連ねましたが、ダイユウサクは1989年は15戦出走して1着5回、2着4回、3着1回、着外5回。気が付けば準オープンまで出世していたのでした。
1990年、5歳。6月の中京芝1200mのCBC賞(GII)で復帰して4着、7月の中京芝1200mのジュライS(準OP)も4着、9月の中京芝1200mのセントウルS(GIII)3着と中京芝1200m3連戦で掲示板を確保したダイユウサク。9月の中京芝2000mのムーンライトS(準OP)を単勝1.6倍の1番人気に推されると先行策から3馬身半差で快勝。勝った勢いを持って臨んだGI初挑戦、10月の東京芝2000mの天皇賞・秋(GI)では11番人気でしたが、同い年のヤエノムテキ(1985.4.11)のレコード駆けからコンマ8秒差の7着と善戦。その後、11月の京都芝2000mのトパーズS(OP)を単勝1.9倍の1番人気に応えて4馬身差の圧勝、返す刀で12月の京都芝1600mの飛鳥S(OP)も単勝1.3倍の1番人気に応えて2馬身差勝ち。……成績を連ねると「単純に強い馬」ですよ、ダイユウサク。1990年のレースで単勝1倍台の人気に3回も応えているのですから。
1991年、6歳。今も昔も変わりなく、正月開催を飾る伝統重賞である金杯(GIII)。京都芝2000mの一戦、単勝2.7倍の1番人気に応えて1馬身差で重賞初制覇。この時点でダイユウサクは9勝馬となっていました。1989年4月から1991年1月までの2年足らずの内に、9つもの勝ち星を挙げたダイユウサクは、やはり非凡なレースホースだったのです。
そして迎えた、秋。朝日チャレンジC(GIII)7着、京都大賞典(GII)5着、スワンS(GII)4着、マイルチャンピオンシップ(GI)5着を経て、12月の阪神芝1600mの阪神競馬場新装記念(OP)を別定59kgの斤量ものかは、2番人気で4分の3馬身差で通算10勝目を収めての有馬記念挑戦。
「これはビックリ、ダイユウサク!!」とフジテレビの中継では堺正幸アナウンサーにそう叫ばせたダイユウサク。15頭の出走馬中14番目のブービー人気でしたが、その低評価をあざ笑うかのようにダイユウサクは大本命メジロマックイーン(1987.4.3)を内ラチ側から差し切り。その勝ち時計の2分30秒6は芝2500mの日本レコード。2戦連続タイムオーバーから始まったダイユウサクの競走馬生活、そのクライマックスは後に11年間も保持されることになる有馬記念のレコード駆け。1991年のJRA重賞は「ダイユウサクに始まり、ダイユウサクに終わる」という結末でした。
1992年、7歳。GI3戦、GII3戦と6戦して掲示板に載ることは一度も無かったダイユウサク。既に自分の役目は果たしたのか、後進が勝つ姿を後ろから見守っているかのようでした。
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有馬記念の一撃が余りにも衝撃的過ぎて「一発屋」と思われるフシもあるダイユウサクですが、記録を辿れば11勝も挙げた「本物の実力馬」。ダイユウサクは芝1200mを1分8秒6、芝1400mを1分20秒9、芝1600mを1分34秒6、芝2000mを1分59秒0、芝2500mを2分30秒6と幅広い距離を速い時計で走破した稀有な馬でもありました。今の馬ではオープンクラスで芝1200mから芝2000m、果ては芝2500mまで使われるようなことは、、、なかなか無いですね^^;
そんなダイユウサクの「相棒」熊沢騎手は、2023年の今もなお、現役の騎手として活躍を続けられています。ダイユウサク、熊沢騎手を空の上から見守っていてあげてください。
それでは、これから走る馬、人すべてが無事でありますように。
#「芝1200mから芝2000m、果ては芝2500m」ということでは、ダイユウサクが勝った有馬記念で5着に踏ん張ったダイタクヘリオス(1987.4.10)もやっぱり凄い。なお、ダイユウサクは現役最終年の1992年に京都芝3200mの天皇賞・春(GI)を3分24秒0で走破しています。ダイユウサク、何気にですね、天皇賞・春、安田記念(GI)、宝塚記念(GI)と、伝説のカミノクレッセ(1987.5.30)GI3走連続銀メダルと同じローテーションで、一緒に走っているんです。これも凄い。
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[ダイユウサク(1985.6.12)の主な競走成績]
- 有馬記念(GI)、金杯(GIII)
- 産經大阪杯(GII)
- セントウルS(GIII)
通算38戦11勝、2着5回、3着2回。
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ダイユウサクさんの記事、気合が入っている感があるな。
このサイトの管理人、ダイユウサクさん、好きなんですって。
なるほど。地道に努力を重ねてGI馬まで登り詰めた姿、それは琴線に触れるなぁ。