ニホンピロウイナー(1980.4.27)-【1984年】の中央競馬のGI勝ち馬を辿る(No.11)-

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ニホンピロウイナー 牡 黒鹿毛 1980.4.27生~2005.3.17没 門別・佐々木節哉氏生産 馬主・小林百太郎氏 栗東・服部正利厩舎

ニホンピロウイナー(1980.4.27)の4代血統表
ステイールハート
黒鹿毛 1972.3.25
種付け時活性値:1.75【7】
Habitat
鹿毛 1966.5.4
Sir Gaylord
黒鹿毛 1959.2.12
Turn-to 1951
Somethingroyal 1952.3.12
Little Hut
鹿毛 1952
Occupy 1941
Savage Beauty 1934
A. 1
芦毛 1963
★Abernant
芦毛 1946
Owen Tudor 1938
Rustom Mahal 1934
Asti Spumante
栗毛 1947
Dante 1942
Blanco 1932
ニホンピロエバート
鹿毛 1974.3.17
仔受胎時活性値:1.25【5】
チヤイナロツク
栃栗毛 1953
種付け時活性値:1.00【20】
Rockefella
黒鹿毛 1941
Hyperion 1930.4.18
Rockfel 1935
May Wong
栗毛 1934
Rustom Pasha 1927
Wezzan 1924
ライトフレーム
黒鹿毛 1959.3.15
仔受胎時活性値:1.50【14】
ライジングフレーム
黒鹿毛 1947
種付け時活性値:0.75【11】
The Phoenix 1940
Admirable 1942
グリンライト
栗毛 1947.4.6
仔受胎時活性値:0.75【11】
ダイオライト
黒鹿毛 1927
種付け時活性値:0.75【19】
栄幟
鹿毛 1938
仔受胎時活性値:2.00(0.00)【8】

<5代血統表内のクロス:Hyperion4×5、Rustom Pasha4×5、Nearco5×5>

ニホンピロウイナー(1980.4.27)の0の理論的総括
母父 祖母父 曾祖母父
ステイールハート
(Habitat系)
チヤイナロツク
(Rockefella系)
ライジングフレーム
(Cyllene系)
ダイオライト
(Orby系)
形相の遺伝 料の遺伝 牝系 母の何番仔?
ステイールハート
(Little Hut)
5.50 or 3.50
(【5】+【14】+【11】+【8】)
伯父キタノカチドキ
(No. 3-l フロリースカツプ系)
3番仔
(3連産目)

*

1984年の第1回マイルチャンピオンシップ(GI。京都芝1600m)の結果(上位5頭。馬齢は現年齢表記に合わせる)


馬名 性齢 騎手 走破
時計
着差 調教師
1 3 ニホンピロウイナー 牡4 河内 洋 1:35.3 服部 正利 1
2 12 ハッピープログレス 牡6 田原 成貴 1:35.4 1/2 山本 正司 3
3 11 ダイゼンシルバー 牡3 西浦 勝一 1:35.8 2・1/2 中村 好夫 2
4 4 シャダイソフィア 牝4 猿橋 重利 1:36.1 1・3/4 渡辺 栄 5
5 16 ヤマノシラギク 牝5 松田 幸春 1:36.3 1・1/4 大久保 正陽 7

京都芝1600m、晴の良馬場、16頭立て。

日本中央競馬会のグレード制導入初年である1984年、古馬路線に芝1600mのGIレースが2つ設けられました。1つ目が春の安田記念、2つ目が秋に新設されたマイルチャンピオンシップ(GI)。春の安田記念が東京芝1600mに対して、秋のマイルチャンピオンシップは京都芝外回り1600m。共に実力が問われる紛れのないコースであり、マイル王を定めるに相応しい舞台設定。秋の京都競馬場開催のGIを締め括るレースでもあるマイルチャンピオンシップ、そんな京都芝外回り1600mのGIレースの初回を制したのは、ニホンピロウイナー。

ニホンピロウイナー(1980.4.27)-五十音にて名馬を辿る(No.22)-
ニホンピロウイナー 牡 黒鹿毛 1980.4.27生~2005.3.17没 門別・佐々木節哉氏生産 馬主・小林百太郎氏 栗東・服部正利厩舎

「時代の申し子」であったニホンピロウイナー。その距離別戦績を確認してみますと、

ニホンピロウイナー(1980.4.27)の距離別戦績
距離(m) 1着 2着 3着 着外
1200 4 0 0 0
1400 5 0 0 1
1600 5 3 0 0
1800 1 0 0 3
2000 1 0 1 2
合計 16 3 1 6

生涯26戦16勝、2着3回、3着1回、着外6回であり、1600m以下では18戦14勝、2着3回、3着0回、着外1回。驚くべき安定性と強さと速さを兼ね備えたニホンピロウイナー。こうなりますと1600m以下のレースで着外に敗れた1回が気になりますが、その1回は現年齢表記3歳6月、古馬に挑んだ阪神芝1400mの阪急杯で9着。この阪急杯はレース中に落鉄していたそうで、その能力をフルに発揮できなかったようですけれど、その阪急杯を制した年長馬こそハッピープログレス(1978.4.15)。

ハツピープログレス(1978.4.15)-【1984年】の中央競馬のGI勝ち馬を辿る(No.6)-
ハツピープログレス(1978.4.15)-【1984年】の中央競馬のGI勝ち馬を辿る(No.6)-

「時代の申し子」ニホンピロウイナーと、グレード制導入初年に春の古馬短距離三冠を果たしたハッピープログレス。短距離強者どうしの直接対決を確認してみますと、

ニホンピロウイナーvsハッピープログレス
レース名 ニホンピロウイナー ハッピープログレス 2頭のタイム差
阪急杯 9着 1着 1秒1
CBC賞 1着 2着 0秒4
淀短距離S 1着 2着 0秒5
マイラーズC(GII) 2着 4着 0秒2
スワンS(GII) 1着 3着 1秒5
マイルチャンピオンシップ(GI) 1着 2着 0秒1

6戦してニホンピロウイナーが5回先着、ハッピープログレスが1回先着。ハッピープログレス陣営としては歯噛みする相手がニホンピロウイナーだったでしょう。ただ、2頭の勝負のうち、もっとも差が小さかったのが、本稿で紹介している1984年の第1回マイルチャンピオンシップ。コンマ1秒差、半馬身差まで迫ったのはハッピープログレスの意地を思うところです。

それでも先着されることを許さなかったニホンピロウイナー。日本競馬の短距離戦における「明けの明星」とも言うべき黒鹿毛馬が、差し迫る好敵手を振り切って1着ゴールを果たし、栄えある第1回マイルチャンピオンシップ優勝馬としてその名を歴史に刻んだのでした。

 

それでは、これから走る馬、人すべてが無事でありますように。

*

[ニホンピロウイナー(1980.4.27)の主な競走成績]

  1. 安田記念(GI)、マイルチャンピオンシップ(GI)2回、京王杯スプリングC(GII)、マイラーズC(GII)、スワンS(GII)、デイリー杯3歳S、朝日チャレンジC(GIII)、CBC賞、きさらぎ賞
  2. 阪神3歳S、マイラーズC(GII)
  3. 天皇賞・秋(GI)

通算26戦16勝、2着3回、3着1回。

#今回は記事中にテーブル形式のデータを並べる形になりましたので、ニホンピロウイナーのコース別戦績と馬場状態別戦績も併せて記しておきます。

ニホンピロウイナー(1980.4.27)のコース別戦績
コース 1着 2着 3着 着外
京都 7 0 0 0
阪神 4 3 0 2
中京 3 0 0 1
東京 2 0 1 1
中山 0 0 0 2
合計 16 3 1 6
ニホンピロウイナー(1980.4.27)の馬場状態別戦績
馬場状態 1着 2着 3着 着外
13 1 1 3
稍重 3 0 0 0
不良 0 2 0 3
合計 16 3 1 6

京都競馬場では7戦7勝の負けなし。逆に不良馬場では5戦して勝利なし。確認してみれば、1600m以下のレースの2着3回のうち2回は不良馬場でした。となりますと、上述の落鉄した阪急杯を除けば、1600m以下のレースかつ良馬場でまともに負けたのは1回だけになるのですが、それは2歳時の阪神3歳S。ダイゼンキング(1980.5.11)とタイム差なしのアタマ差2着となったレースでした。ニホンピロウイナー、負けてなお強しや理由がはっきりしている敗北を確認することで、改めてその実力が浮き彫りになるところに、本物のチャンピオンであることを思わされます。

そうして、ニホンピロウイナーのレースで「やっぱり1番強い」と思わせるのが、1984年のマイルチャンピオンシップの前走であった京都芝1400mのスワンS。大外14番枠から楽にハナを取り、最後は1980年生まれ世代の同期である桜花賞馬シャダイソフィア(1980.3.19)を7馬身置き去りにして1分21秒4のレコード勝ち。めちゃくちゃ強い勝ち方で、結果を知っていても両の腕に鳥肌が立ちます。

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