ノースガスト 牡 鹿毛 1977.3.17生~2007.9.11没 門別町・坂戸 忠一氏生産 馬主・鈴木 忠男氏 栗東・二分 久男厩舎
アラナス 鹿毛 1965 種付け時活性値:0.75【11】 |
Right Royal 黒鹿毛 1958 |
Owen Tudor 黒鹿毛 1938 |
Hyperion 1930.4.18 |
Mary Tudor 1930 | |||
Bastia 鹿毛 1951 |
★Victrix 1934 | ||
Barberybush 1934 | |||
Arbencia 鹿毛 1954 |
Arbar 鹿毛 1944 |
Djebel 1937 | |
Astronomie 1932 | |||
Palencia 鹿毛 1941 |
Pharis 1936 | ||
Hestia 1935 | |||
ゲズンドハイト 鹿毛 1971.4.7 仔受胎時活性値:1.25【5】 |
ミステリー 鹿毛 1959 種付け時活性値:0.75【11】 |
Milesian 鹿毛 1953 |
My Babu 1945 |
Oatflake 1942 | |||
Paleo 鹿毛 1953 |
★Pharis 1936 | ||
Calonice 1940 | |||
スパイラル 鹿毛 1967.5.13 仔受胎時活性値:0.75【3】 |
★シプリアニ 黒鹿毛 1958.3.4 種付け時活性値:0.00【8】 |
Never Say Die 1951.3.26 | |
Carezza 1953 | |||
サツマオー 鹿毛 1954.3.6 仔受胎時活性値:1.00【12】 |
アサフジ 鹿毛 1943.4.14 種付け時活性値:0.50【10】 |
||
キミカゲ 鹿毛 1941.6.14 仔受胎時活性値:1.00【12】 |
<5代血統表内のクロス:Djebel4×5、Pharis4×4、Pharos5×5×5、Tourbillon5×5(父方)>
父 | 母父 | 祖母父 | 曾祖母父 |
---|---|---|---|
アラナス (Owen Tudor系) |
ミステリー (My Babu系) |
★シプリアニ (Never Say Die系) |
アサフジ (Blandford系) |
形相の遺伝 | 料の遺伝 | 牝系 | 母の何番仔? |
アラナス | 4.00 (【5】+【3】+【12】+【12】) |
(No. 22-b フリツパンシー系) | 3番仔? (3連産目?) |
*
着 順 |
馬 番 |
馬名 | 性齢 | 斤量 | 騎手 | 走破 時計 |
着差 | 調教師 | 人 気 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | ノースガスト | 牡3 | 56 | 田島良保 | 2:02.8 | 二分久男 | 2 | |
2 | 3 | タカノカチドキ | 牡3 | 56 | 武邦彦 | 2:02.9 | クビ | 服部正利 | 1 |
3 | 11 | ダイニテンリオー | 牡3 | 56 | 柴田光陽 | 2:03.3 | 2.1/2 | 島崎宏 | 9 |
4 | 9 | ニッポーアドニス | 牡3 | 56 | 伊藤清章 | 2:03.4 | 1/2 | 伊藤修司 | 5 |
5 | 10 | マルブツエンジェル | 牡3 | 56 | 加用正 | 2:03.7 | 2 | 北橋修二 | 7 |
*

着 順 |
馬 番 |
馬名 | 性齢 | 騎手 | 走破 時計 |
着差 | 調教師 | 人 気 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 11 | ノースガスト | 牡3 | 田島 良保 | 3:06.1 | レコード | 二分 久男 | 5 |
2 | 9 | モンテプリンス | 牡3 | 吉永 正人 | 3:06.1 | クビ | 松山 吉三郎 | 1 |
3 | 13 | タカノカチドキ | 牡3 | 武 邦彦 | 3:06.3 | 1 | 服部 正利 | 2 |
4 | 5 | サーペンプリンス | 牡3 | 谷原 義明 | 3:06.6 | 2 | 大久保 末吉 | 6 |
5 | 17 | ドロッポロード | 牡3 | 中野 栄治 | 3:06.8 | 1・1/4 | 荒木 静雄 | 10 |
あの馬は目が良かった。サムライの目をしていましたね
と、管理された二分久男調教師に言わしめたノースガスト。ナリは小さくとも、一流の武士だったのです。
そんなノースガストが神戸新聞杯1着、京都新聞杯2着から挑んだ第41回菊花賞。「必殺仕事人」田島良保騎手が、道中中団の内々でジッと溜めて、直線もやはり内を突きました。黄色の帽子に「白、赤星散、袖青縦縞」の勝負服を背にしたノースガスト、422kgの小さな馬体ものかは、486kgの大柄なモンテプリンス(1977.4.1)を決勝点で「クビ」だけ切って捨て、3分6秒1のレコードタイムで菊花賞馬に輝きました。3000mをきっちり3000mで走らせたところは、サスガに必殺仕事人。無駄も無理もない競馬。そして、鞍上の意図にしっかりと応えたノースガスト。人馬一体となり、クラシックの栄冠を勝ち取ったのでした。この菊花賞優勝により田島騎手はヒカルイマイ(1968.3.27)の皐月賞、東京優駿と併せて、牡馬クラシック三冠をすべて勝利と相成りました。
なお、馬体重422kgの菊花賞勝利は現在でも最軽量の優勝馬記録として残っています。確認したところ、皐月賞はナリタタイシン(1990.6.10)の426kg、東京優駿はコーネルランサー(1971.4.16)の430kgが最軽量ということで、牡馬クラシックを勝った馬のうち、最も軽い馬がノースガストなのでした。これは日本のサラブレッドの大型化が進む中で、なかなかに破りにくい記録と思います。
*
ノースガストの軌跡を辿ると、どうしても同じ二分厩舎の後輩の菊花賞馬を思いますね。マチカネフクキタル(1994.5.22)。彼も同様に秋に昇り、神戸新聞杯(GII)1着、京都新聞杯(GII)1着、そして菊花賞(GI)1着と3連勝でクラシック勝利を収めました。
そんなマチカネフクキタルが菊花賞を制した1997年は、二分厩舎がマイナー血統馬たちでバンバン重賞を勝っていました。マチカネフクキタル、シンカイウン(1992.3.16)、テイエムオオアラシ(1993.4.18)。逸走してしまいますが、彼らの4代血統構成を見ておきますと、
格 | 馬名 (生年月日) [F No.] |
母の 何番仔? |
4代血統構成 | |||
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父 | 母父 | 祖母父 | 曾祖母父 | |||
GI | マチカネフクキタル (1994.5.22) [3-l フロリースカップ系] |
8番仔 (8連産目) |
クリスタルグリツターズ (Blushing Groom系) |
トウシヨウボーイ (テスコボーイ系) |
シルバーシヤーク (Relic系) |
テユーダーペリオツド (Owen Tudor系) |
GIII | シンカイウン (1992.3.16) [16-a] |
2番仔 (不受胎後) |
★シンチェスト (Aureole系) |
ハギノカムイオー (テスコボーイ系) |
ハードツービート (Pharos系) |
◆Wild Risk (Rabelais系) |
GIII | テイエムオオアラシ (1993.4.18) [12 ビューチフルドリーマー系] |
初仔 | ★セクレフアスター (Bold Ruler系) |
ハギノカムイオー (テスコボーイ系) |
クラウンドプリンス (Raise a Native系) |
ハードリドン (Pharos系) |
むぅ。シンカイウンとテイエムオオアラシの母父が共にハギノカムイオー(1979.4.1)というのが涙を誘います。そしてまた、両馬共に「父の0交配馬」かつ「母が不受胎後の仔」というのも琴線に触れます。改めて二分師、ひいては義兄である布施正調教師は、共に鋭い相馬眼で馬を選ばれていたのだろうなと思います。
#二分師や布施師が管理された活躍馬の血統を開くと、0の理論的良馬に引っ掛かる訳です。上記以外の二分師の管理馬にはシンボリ牧場生産のアグネスホープ(1975.4.23)もいますが「パーソロン×Pieces of Eight×Hornbeam×◆Dante」という4代血統構成です。そしてシンボリルドルフ(1981.3.13)の仔ツルマルツヨシ(1995.4.6)も活躍しましたね。母方が名繁殖系のツルマルツヨシは種牡馬になって欲しかった。また、布施師の管理馬だったラフオンテース(1977.3.30)、ハクタイセイ(1987.4.17)、ネーハイシーザー(1990.4.27)はいずれも父からミニモの遺伝を受けた馬たちでした。
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話がだいぶん脇道に逸れてしまいましたが、ノースガスト。現年齢表記30歳を迎えた2007年に亡くなったということで、これは大往生。
大切に飼養されたということもあるでしょうけれど、サムライはその小さな身体に大きな生命力を宿していたのです。
そんなノースガストが、いのちの輝きを放った第41回菊花賞。
忘れずに、目に焼き付けておこうと思います。
それでは、これから走る馬、人すべてが無事でありますように。
[ノースガスト(1977.3.17)の主な競走成績]
- 菊花賞、神戸新聞杯
- 阪神3歳S、京都新聞杯
通算15戦4勝、2着4回、3着3回。
##二分師のノースガストに対する思いがよく示されています。なんでも、ノースガストの名付け親は二分師ご自身だったとか。ぜひご一読ください。