競馬の祭典である東京優駿(GI)が開催される5月ということで、30年前、20年前、10年前の東京優駿を振り返る、気の長い企画です。其の壱は1988年の第55回の勝ち馬、サクラチヨノオー。
サクラチヨノオー 牡 鹿毛 1985.2.19生~2012.1.7没 静内・谷岡牧場生産 馬主・(株)さくらコマース 美浦・境勝太郎厩舎
マルゼンスキー 鹿毛 1974.5.19 種付け時活性値:0.50 |
Nijinsky 鹿毛 1967.2.21 |
Northern Dancer 鹿毛 1961.5.27 |
Nearctic 1954.2.11 |
Natalma 1957.3.26 | |||
Flaming Page 鹿毛 1959.4.24 |
Bull Page 1947 | ||
Flaring Top 1947 | |||
シル 鹿毛 1970.4.22 |
Buckpasser 鹿毛 1963.4.28 |
Tom Fool 1949.3.31 | |
Busanda 1947 | |||
Quill 栗毛 1956.2.24 |
Princequillo 1940 | ||
Quick Touch 1946 | |||
サクラセダン 鹿毛 1972.4.13 仔受胎時活性値:1.00 |
★ セダン 鹿毛 1955.3.9 種付け時活性値:0.00 |
Prince Bio 鹿毛 1941 |
Prince Rose 1928 |
Biologie 1935 | |||
Staffa 鹿毛 1948 |
Orsenigo 1940 | ||
Signa 1939 | |||
スワンズウツドグローヴ 黒鹿毛 1960 仔受胎時活性値:0.75 |
Grey Sovereign 芦毛 1948 種付け時活性値:0.75 |
Nasrullah 1940.3.2 | |
Kong 1933 | |||
Fakhry 栗毛 1940 仔受胎時活性値:0.75 |
◆Mahmoud 芦毛 1933 種付け時活性値:1.50 |
||
Fille de Salut 黒鹿毛 1928 仔受胎時活性値:0.75 |
<5代血統表内のクロス:Prince Rose5×4、Nearco5×5、Menow5×5>
父 | 母父 | 祖母父 | 曾祖母父 |
---|---|---|---|
マルゼンスキー (Nijinsky系) |
★セダン (Prince Bio系) |
Grey Sovereign (Nasrullah系) |
◆Mahmoud (Blenheim系) |
形相の遺伝 | 料の遺伝 | 牝系 | 母の何番仔? |
Mahmoud | 3.25 |
半弟サクラホクトオー (No. 16-a) |
7番仔 (7連産目) |
*
着 順 |
馬 番 |
馬名 | 性齢 |
斤 量 |
騎手 |
走破 時計 |
着差 |
上り 4F |
馬体重 [前走比] |
調教師 |
人 気 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 5 | サクラチヨノオー | 牡3 | 57 | 小島太 | 2:26.3 | 47.9 |
464 [-2] |
境勝太郎 | 3 | |
2 | 18 | メジロアルダン | 牡3 | 57 | 岡部幸雄 | 2:26.4 | クビ | 47.9 |
496 [-2] |
奥平真治 | 6 |
3 | 6 | コクサイトリプル | 牡3 | 57 | 柴田政人 | 2:26.5 | 1/2 | 47.8 |
500 [0] |
稗田敏男 | 4 |
4 | 11 | ヤエノムテキ | 牡3 | 57 | 西浦勝一 | 2:26.9 | 2.1/2 | 48.2 |
494 [-2] |
荻野光男 | 2 |
5 | 20 | ファンドリデクター | 牡3 | 57 | 田原成貴 | 2:27.0 | 3/4 | 48.4 |
488 [+6] |
布施正 | 9 |
1988年の第55回東京優駿。小島太騎手の魂の騎乗に応えて、サクラチヨノオー。直線、内を掬った岡部幸雄騎手とメジロアルダン(1985.3.28)に半馬身ほど前に出られたものの、諦めずに差し返した底力。東京芝2400mの勝ち時計2分26秒3は、第49回を制したバンブーアトラス(1979.4.27)が持っていた2分26秒5を0秒2更新するレースレコード。鞍上の小島騎手と馬主の(株)さくらコマースは第45回のサクラショウリ(1975.3.1)に続く2回目の東京優駿制覇、境勝太郎調教師と生産の谷岡牧場は、悲願の東京優駿初制覇でした。特に境調教師は、
この競走の最後の直線でサクラチヨノオーはメジロアルダンと競り合い、いったん交わされたことから境は「2着でいい!2着!」と叫んだが、ゴール寸前で再び差し返しての勝利であった[14]。勝利を知った境は、腰が抜けて立てなくなっていたという[14]。
ホースマンにとって「ダービーを勝つ」ということの意味を教えてくれるエピソードのひとつです。
[サクラチヨノオーの主な競走成績]
- 東京優駿(GI)、朝日杯3歳S(GI)、弥生賞(GII)
- 皐月賞(GI)
通算10戦5勝、2着1回、3着1回。
それでは、これから走る馬、人すべてに幸多からんことを。
<参考WEB>