シンコウウインディ 牡 栗毛 1993.4.14生~2023.9.27没 浦河・酒井源市氏生産 馬主・安田修氏 美浦・田中清隆厩舎
デュラブ 栗毛 1982.2.14 種付け時活性値:0.50【10】 |
Topsider 鹿毛 1974.3.15 |
Northern Dancer 鹿毛 1961.5.27 |
Nearctic 1954.2.11 |
Natalma 1957.3.26 | |||
Drumtop 鹿毛 1966.5.4 |
Round Table 1954.4.6 | ||
Zonah 1958.5.1 | |||
Passerine 栗毛 1977.4.14 |
Dr. Fager 鹿毛 1964.4.6 |
Rough’n Tumble 1948 | |
Aspidistra 1954.3.25 | |||
Pashamin 鹿毛 1966.4.23 |
My Babu 1945 | ||
Tir an Oir 1949 | |||
ローズコマンダー 鹿毛 1976.4.2 仔受胎時活性値:2.00【16】 |
★ ダストコマンダー 栗毛 1967.2.8 種付け時活性値:0.00【8】 |
Bold Commander 鹿毛 1960.4.7 |
Bold Ruler 1954.4.6 |
High Voltage 1952 | |||
Dust Storm 栗毛 1956.2.19 |
Windy City 1949 | ||
Challure 1948 | |||
ハマヒリユウ 黒鹿毛 1972.6.11 仔受胎時活性値:0.75【3】 |
パーソロン 鹿毛 1960 種付け時活性値:0.75【11】 |
Milesian 1953 | |
Paleo 1953 | |||
デイツクミドリ 黒鹿毛 1967.4.29 仔受胎時活性値:1.00【4】 |
トサミドリ 鹿毛 1946.5.20 種付け時活性値:1.00【20】 |
||
タカフレーム 黒鹿毛 1955.5.16 仔受胎時活性値:0.75【11】 |
<5代血統表内のクロス:My Babu4×5、Nasrullah5×5>
父 | 母父 | 祖母父 | 曾祖母父 |
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デュラブ (Northern Dancer系) |
★ダストコマンダー (Bold Ruler系) |
パーソロン (My Babu系) |
トサミドリ (Blandford系) |
形相の遺伝 | 料の遺伝 | 牝系 | 母の何番仔? |
トサミドリ (ハマヒリユウ) |
4.50 (【16】+【3】+【4】+【11】) |
スガノホマレと同牝系 (No. 7-e ノマデイツク系) |
11番仔 (10連産目) |
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着 順 |
馬 番 |
馬名 | 性齢 | 騎手 | 走破 時計 |
着差 | 調教師 | 人 気 |
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1 | 8 | シンコウウインディ | 牡4 | 岡部 幸雄 | 1:36.0 | 田中 清隆 | 6 | |
2 | 11 | ストーンステッパー | 牡4 | 熊沢 重文 | 1:36.0 | クビ | 目野 哲也 | 1 |
3 | 7 | バトルライン | 牡4 | 横山 典弘 | 1:36.5 | 3 | 松田 博資 | 2 |
4 | 9 | ビコーペガサス | 牡6 | 武 豊 | 1:36.8 | 1・3/4 | 柳田 次男 | 5 |
5 | 13 | ビッグショウリ | 牡6 | 蛯名 正義 | 1:37.1 | 1・3/4 | 中尾 正 | 10 |
1F毎の ラップ |
12.6 – 11.2 – 11.5 – 12.0 – 12.2 – 12.2 – 12.0 – 12.3 |
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ラップの 累計タイム |
12.6 – 23.8 – 35.3 – 47.3 – 59.5 – 1:11.7 – 1:23.7 – 1:36.0 |
上り | 4F 48.7 – 3F 36.5 |
1997年の第14回フェブラリーS。地方競馬の交流重賞に統一格付けがなされ、それに合わせてGIに格上げされた中央競馬のフェブラリーS。折りからの降雪のため、水の浮いた泥田のようになった東京競馬場のダート1600mで「ダート王」の覇権を競うことになりました。
当時「砂の女王」の名を欲しいままにしていたホクトベガ(1990.3.26)の名前は出走メンバーの中にありませんでしたが、「我こそは」と王者の栄光を掴まんとする砂の猛者が16頭揃いました。1番人気は前走ガーネットS(GIII)を圧勝してダート戦4連勝となったストーンステッパー(1992.5.9)。2番人気は米国のクラシック二冠馬サンダーガルチ(1992.5.23)の半弟バトルライン(1993.5.20)。3番人気は前走平安S(GIII)でシンコウウインディと1着を分け合ったトーヨーシアトル(1993.4.4)。以下イシノサンデー(1993.5.29)、ビコーペガサス(1991.2.8)、シンコウウインディと続きました。
スタート。東京ダート1600mではおなじみ、発馬直後の芝コースを16頭が駆けました。まず先手を打ったのは、2番人気のバトルライン、前年2着のアイオーユー(1990.5.15)、浦和からの招待馬エフテーサッチ(1993.5.15)、そして1番人気のストーンステッパー。シンコウウインディは、前方集団の外側、5番手並びくらいの位置。オープン馬が織り成すレースは淀みなく流れ、1000mの通過が59秒5。
4コーナーから直線。内ラチ沿いでアイオーユーがいっぱいになったところを、バトルラインが外から楽な手応えで交わしました。そこに襲い掛かって来たのが、ストーンストッパー。「紫、黄縦縞、袖黄縦縞」の勝負服を鞍上にした黒鹿毛馬がしっかりと伸びました。バトルラインも抵抗しましたが、ラスト1ハロンの地点では脚色で勝れず。けれど、代わって内ラチ沿いに坂を駆け上がってくる馬がいました。シンコウウインディ。「黒」の勝負服を鞍上にした、勝負服とおそろいの黒いブリンカーを着けた栗毛馬が、かき込みも豊かに我慢強く脚を伸ばしました。
ゴールまで100mを切ってからは完全に一騎討ちの様相となり、根性比べの勝負。「離れていては闘志が湧かない」と判断されたのか、ストーンステッパーの鞍上の熊沢重文騎手は、内側に馬体を併せに掛かりました。しかし、岡部幸雄騎手とシンコウウインディはひるむことなく、一目散にゴールを目指して駆けました。内の栗毛馬、外の黒鹿毛馬。決勝点、わずかに「クビ」だけ先んじて決勝点に飛び込んだのは、内の栗毛馬、シンコウウインディ。市場取引価格「890万円」だったマル市馬が、初代王者の栄冠を勝ち取った瞬間でした。
*
シンコウウインディは「噛み付きグセ」を持った馬としても知られていました。1996年8月31日、中山競馬場で行われた館山特別の決勝点直前において、彼はダイワオーシャン(1992.5.15)に噛み付きました。彼の激しい気性がそうさせたのか、負けたくないという闘志がそうさせたのか。この事件で一躍有名馬となったシンコウウインディ。以降も、色々と話題を振り撒きました。重賞初制覇となったユニコーンS(GIII)。このレースは、1着入線のバトルラインが進路妨害による降着のため、繰り上がりで1着となりました。重賞2勝目となった平安S。上述の通り、このレースではトーヨーシアトルと1着を同着で分け合いました。そして、重賞3勝目となったフェブラリーS。しっかり初代王者の称号をかっさらって行きました。
ダーレースタリオンの隣の馬房で、毎日のんびり過ごしていた #シンコウウインディ 。
私たちの癒しであり、人気者だった彼が昨日30歳で旅立ちました。
今まで本当にありがとう。安らかにお眠りください。#ダーレー pic.twitter.com/D6huYQzRFD— Darley in Japan (@DarleyinJapan) September 28, 2023
シンコウウインディ。忘れがたき栗毛、フェブラリーSのGI昇格初回の勝ち馬でした。合掌。
それでは、これから走る馬、人すべてに幸多からんことを。
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[シンコウウインディ(1993.4.14)の主な競走成績]
- フェブラリーS(GI)、平安S(GIII)、ユニコーンS(GIII)
- スーパーダートダービー
- ダービーグランプリ
通算17戦5勝、2着3回、3着1回。
#2020年03月11日(水)初出、2023年09月28日(木)記事改め。
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「思い出のGI1勝馬を辿る」の企画は、基本、生年順に馬を紹介するので前後していますが、田中清隆厩舎&岡部幸雄騎手はシンコウウインディ&グルメフロンティア(1992.4.19)でフェブラリーSを連覇されました。
野平祐二ラインとも言うべきコンビやね。話変わるけれど、このサイトの管理人、冠名「シンコウ」の馬をよく紹介しているよな。
シンコウラブリイ(1989.2.2)さん、シンコウキング(1991.4.24)さんに続いて、シンコウウインディが3頭目ですね。
黒の勝負服が印象に残ったみたいやね。オーナーサイドは、色んな意味でブラックやった訳やけれど、良い馬が揃っていた。
に、兄さん……。