エイシンサニー 牝 鹿毛 1987.3.29生~2021.2.17没 浦河・栄進牧場生産 馬主・平井豊光氏 栗東・坂口正則厩舎
ミルジヨージ 鹿毛 1975.4.12 種付け時活性値:0.75【11】 |
Mill Reef 鹿毛 1968.2.23 |
Never Bend 鹿毛 1960.3.15 |
Nasrullah 1940.3.2 |
Lalun 1952 | |||
Milan Mill 鹿毛 1962.2.10 |
Princequillo 1940 | ||
Virginia Water 1953.4.18 | |||
Miss Charisma 鹿毛 1967 |
Ragusa 鹿毛 1960.6.15 |
Ribot 1952.2.27 | |
Fantan 1952 | |||
マタテイナ 鹿毛 1960 |
Grey Sovereign 1948.3.30 | ||
Zanzara 1951 | |||
エイシンナツコ 鹿毛 1980.3.18 仔受胎時活性値:1.50【6】 |
ダイアトム 黒鹿毛 1962.6.13 種付け時活性値:0.25【17】 |
Sicambre 黒鹿毛 1948 |
Prince Bio 1941 |
Sif 1936 | |||
Dictaway 黒鹿毛 1952 |
▲Honeyway 1941 | ||
Nymphe Dicte 1935 | |||
ラウンドマザー 栗毛 1971.4.29 仔受胎時活性値:2.00【8】 |
チヤイナロツク 栃栗毛 1953 種付け時活性値:0.25【17】 |
Rockefella 1941 | |
May Wong 1934 | |||
レデイアリス 栗毛 1956 仔受胎時活性値:1.50【14】 |
Alycidon 栗毛 1945.3.15 種付け時活性値:0.50【10】 |
||
Pontoon 芦毛 1940 仔受胎時活性値:1.75【15】 |
<5代血統表内のクロス:Nasrullah4×5(父方)、Prince Rose5×5>
父 | 母父 | 祖母父 | 曾祖母父 |
---|---|---|---|
ミルジヨージ (Mill Reef系) |
ダイアトム (Prince Bio系) |
チヤイナロツク (Hyperion系) |
Alycidon (Blandford系) |
形相の遺伝 | 料の遺伝 | 牝系 | 母の何番仔? |
ミルジヨージ | 6.75 |
メジロタイヨウと同牝系 (No. 3-f) |
2番仔 (2連産目) |
*
着 順 |
馬 番 |
馬名 | 性齢 | 騎手 |
走破 時計 |
着差 | 調教師 |
人 気 |
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1 | 17 | エイシンサニー | 牝3 | 岸 滋彦 | 2:26.1 | 坂口 正則 | 5 | |
2 | 20 | アグネスフローラ | 牝3 | 河内 洋 | 2:26.2 | 3/4 | 長浜 博之 | 1 |
3 | 5 | ケリーバッグ | 牝3 | 菅原 泰夫 | 2:26.5 | 2 | 山田 要一 | 3 |
4 | 3 | ビクトリヤシチー | 牝3 | 柴田 政人 | 2:26.7 | 1・1/4 | 奥平 真治 | 12 |
5 | 4 | ダイイチルビー | 牝3 | 武 豊 | 2:27.1 | 2・1/2 | 伊藤 雄二 | 2 |
1990年の第51回優駿牝馬。最後の直線、先に行った桜花賞(GI)馬アグネスフローラ(1987.6.18)を内から競り負かしたエイシンサニー。岸滋彦騎手、クラシック初制覇の瞬間でした。東京芝2400mの勝ち時計2分26秒1は、馬場改修される前の東京競馬場で行われた優駿牝馬のレコードタイムとして残りました。
思えばこの1990年前後がミルジョージ産駒の最盛期だったのでしょう。エイシンサニーの他にもイナリワン(1984.5.7)、オサイチジョージ(1986.4.13)、ロジータ(1986.5.26)、リンデンリリー(1988.3.16)等が走っていました。種牡馬ミルジョージ、芝ダート問わずに活躍馬が出て、1989年、つまりは平成最初の日本首位種牡馬に輝きました。
エイシンサニー、34歳の大往生。今はただただ、合掌。
それでは、これから走る馬、人すべてに幸多からんことを。
*
[エイシンサニー(1987.3.29)の主な競走成績]
- 優駿牝馬(GI)、報知杯4歳牝馬特別(GII)
通算20戦4勝、2着1回、3着1回。
#余談。エイシンサニーが制した優駿牝馬の前週の安田記念(GI)ではオグリキャップ(1985.3.27)が東京芝1600m1分32秒4、翌週の東京優駿(GI)ではアイネスフウジン(1987.4.10)が東京芝2400m2分25秒3と、3週続けてのレースレコード更新。結局、馬場改修が行われた2002年までに、この3レースのレコードタイムを更新する馬は現れませんでした。強く速い馬たちが駆けた1990年春の東京芝におけるJRAGIレースでした。