ヤマニンゼファー 牡 鹿毛 1988.5.27生~2017.5.16没 新冠・錦岡牧場生産 馬主・土井 宏二氏→土井 肇氏 美浦・栗田 博憲厩舎
ニホンピロウイナー 黒鹿毛 1980.4.27 種付け時活性値:1.75【7】 |
ステイールハート 黒鹿毛 1972.3.25 |
Habitat 鹿毛 1966.5.4 |
Sir Gaylord 1959.2.12 |
Little Hut 1952 | |||
A.1. 芦毛 1963 |
★Abernant 1946 | ||
Asti Spumante 1947 | |||
ニホンピロエバート 鹿毛 1974.3.17 |
チヤイナロツク 栃栗毛 1953 |
Rockefella 1941 | |
May Wong 1934 | |||
ライトフレーム 黒鹿毛 1959.3.15 |
ライジングフレーム 1947 | ||
グリンライト 1947.4.6 | |||
ヤマニンポリシー 鹿毛 1981.5.4 仔受胎時活性値:1.50【6】 |
Blushing Groom 栗毛 1974.4.8 種付け時活性値:1.50【6】 |
Red God 栗毛 1954.2.15 |
Nasrullah 1940.3.2 |
Spring Run 1948 | |||
Runaway Bride 鹿毛 1962 |
Wild Risk 1940 | ||
Aimee 1957 | |||
ヤマホウユウ 黒鹿毛 1968.4.19 仔受胎時活性値:1.00【12】 |
ガーサント 鹿毛 1949.4.5 種付け時活性値:0.50【18】 |
Bubbles 1925 | |
Montagnana 1937 | |||
ミスタルマエ 鹿毛 1963.5.13 仔受胎時活性値:1.00【4】 |
ハクリヨウ 鹿毛 1950.5.6 種付け時活性値:1.00【12】 |
||
バドミントン 黒鹿毛 1953 仔受胎時活性値:0.25【9】 |
<5代血統表内のクロス:なし>
父 | 母父 | 祖母父 | 曾祖母父 |
---|---|---|---|
ニホンピロウイナー (Habitat系) |
Blushing Groom (Red God系) |
ガーサント (Hermit系) |
ハクリヨウ (Blandford系) |
形相の遺伝 | 料の遺伝 | 牝系 | 母の何番仔? |
ニホンピロウイナー | 3.75 (【6】+【12】+【4】+【9】) |
(No. 1-m バドミントン系) |
3番仔 (3連産目) |
*
着 順 |
馬 番 |
馬名 | 性齢 | 斤 量 |
騎手 | 走破 時計 |
着差 | 通過 順位 |
上り 3F |
馬体重 [増減] |
調教師 | 人 気 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 8 | ヤマニンゼファー | 牡5 | 58 | 柴田善臣 | 1:58.9 | 3-2-2 | 36.4 | 456 [+2] |
栗田博憲 | 5 | |
2 | 2 | セキテイリュウオー | 牡4 | 58 | 田中勝春 | 1:58.9 | ハナ | 8-9-5 | 35.9 | 456 [0] |
藤原敏文 | 6 |
3 | 12 | ウィッシュドリーム | 牡4 | 58 | 藤田伸二 | 1:59.4 | 3 | 10-12-9 | 36.0 | 458 [+2] |
坪憲章 | 8 |
4 | 11 | ゴールデンアイ | 牡5 | 58 | 菊沢隆徳 | 1:59.5 | クビ | 13-12-12 | 36.0 | 462 [0] |
柄崎孝 | 17 |
5 | 9 | ナリタチカラ | 牡5 | 58 | 武豊 | 1:59.6 | 3/4 | 4-6-9 | 36.2 | 472 [0] |
大久保正陽 | 7 |
1F毎の ラップ |
13.1 – 11.5 – 10.8 – 11.6 – 11.6 – 11.7 – 12.2 – 12.5 – 11.7 – 12.2 |
---|---|
ラップの 累計タイム |
13.1 – 24.6 – 35.4 – 47.0 – 58.6 – 1:10.3 – 1:22.5 – 1:35.0 – 1:46.7 – 1:58.9 |
上り | 4F 48.6 – 3F 36.4 |
第108回天皇賞・秋。フジヤマケンザン(1988.4.17)に騎乗されていた岡部幸雄騎手の満45歳の誕生日当日だった1993年10月31日に行われた一戦。前走京都大賞典(GII)を京都芝2400mのコースレコード2分22秒7で駆け、出走していれば断然の1番人気に推されたであろうメジロマックイーン(1987.4.3)、レース4日前の10月27日の追い切り後に歩様の乱れが見られ、左前脚の繋靭帯炎の診断の末、10月29日に引退発表。
名優の突然の不在により、一転して混戦模様と化した秋の盾。レース当日の上位人気5頭を確認してみれば、
- ライスシャワー(1989.3.5)
→単勝3.0倍。当年の天皇賞・春(GI)でメジロマックイーンを破った当代随一のステイヤー。前走オールカマー(GIII)1番人気3着からの参戦 - ナイスネイチャ(1988.4.16)
→単勝5.6倍。戦前まで重賞に13戦連続出走して[3-2-6-2]であり4着は外さず。前走毎日王冠(GII)3着とひと叩きして臨んだGI6回目の挑戦 - ツインターボ(1988.4.13)
→単勝7.5倍。前々走七夕賞(GIII)を4馬身差、前走オールカマーを5馬身差と気っ風の良い逃げで連勝を果たしてやって来た小さな逃亡者 - ホワイトストーン(1987.4.2)
→単勝10.6倍。当年のAJCC(GII)でレガシーワールド(1989.4.23)を相手に2年ぶりの重賞勝ちを果たした古豪。前走オールカマー4着からGI13回目の挑戦 - ヤマニンゼファー(1988.5.27)
→単勝11.7倍。当年の安田記念(GI)、京王杯スプリングC(GII)を制していたものの中山記念(GII)4着、毎日王冠6着とマイル戦を超える距離では馬券圏内に絡めず
30年経って振り返ってみれば、それぞれに不安要素を抱えていたと思うもの。ライスシャワーは距離不足と共に精神的なスランプに陥っていたように思いますし、ナイスネイチャとツインターボは0の理論的には先天的な血のコンプレックスを持っていると判断される馬でしたし、ホワイトストーンはその能力を発揮できればと思うものの現年齢表記6歳の秋、そしてヤマニンゼファーは距離延長に対応できるか否か。
*
東京芝2000m、晴の良馬場、17頭立て。1角奥のポケット地点からの発走、スタートから勢い良く逃げたのは言わずもがなでツインターボ。いつも通りの行きっぷりで、ビュンビュン飛ばして行くと入りの600m35秒4、1000m通過が58秒6。ツインターボが七夕賞を逃げ切った時は1000m通過57秒4、オールカマーを逃げ切った時は1000m通過59秒5。ツインターボにとってはマイペースの範ちゅうであったと思います。1993年までの天皇賞・秋における1000m通過の最速ラップは、前年1992年のレッツゴーターキン(1987.4.26)が制した第106回でダイタクヘリオス(1987.4.10)とメジロパーマー(1987.3.21)がやり合った57秒5。それよりも1秒1遅い通過でしたが、速い流れであることは違いありません。そんなツインターボの逃げに続いた人気馬の位置を確認してみれば、向こう正面ではヤマニンゼファーは離れた番手、ナイスネイチャは外の3番手、ライスシャワーは内の5番手、ホワイトストーンは後方4番手の外を追走。3角から4角、徐々にツインターボの逃げと後続馬群の距離が縮まると、最後の直線を向いた時にはヤマニンゼファーが先頭に立っていました。
矮小な私の記憶を辿る限りですけれど、ヤマニンゼファー陣営は2000mの距離を克服するために「400m+1600m」という考え方で天皇賞・秋に挑まれたはずです。最初の400mをロス無く乗り切り、後は1600mの競馬をしよう、と。ロス無く乗り切るということでは、どんな距離でもスタートが肝要になりますが、ヤマニンゼファーは発馬がメチャクチャ上手い馬でした。ヤマニンゼファーのスタートの上手さには秘話があり、ゲートに入ると閉じられた後扉に自身の尻を軽く乗せ、前扉が開くと同時に尻を乗せた後扉の反動を利用して発馬していたそうな。……サスガはGIを3勝も遂げる馬は頭の良さが一味違います。
ヤマニンゼファーの本領は、その利発さと共に「負けるものか!!」という勝負に行っての気概でした。東京芝の直線500.4mで見せた根性比べ。先に抜け出していたヤマニンゼファーを追うようにして内のライスシャワー、外のナイスネイチャが伸びようとしましたが、思うような脚は見られず。差し迫ったのは、好発から道中内の8番手あたりに構え「虎視眈々」とばかりに一発を狙っていたセキテイリュウオー(1989.4.30)。残り300mを切って内のヤマニンゼファー、外のセキテイリュウオーと2頭の叩き合いになったところで、ヤマニンゼファーがセキテイリュウオーに対して自ら馬体を併せに行きました。鞍上の柴田善臣騎手の意図ではなく、ヤマニンゼファー自身の意思によって、内から詰め寄って行ったように見えました。東京コースのマイルGI2勝というチャンピオンホースの意地が、そうさせたように見えました。ヤマニンゼファーが馬体を併せようとする姿はフジテレビ系列の中継の画でよく分かります。このワンシーンがあるがために、ヤマニンゼファーという馬が、私の心により強く刻まれたと今でも思います。
よしんば柴田騎手の指示だとしても、「ヤマニンゼファーならば競り合いになったら負けない」という信頼があったのでしょう。そんな柴田騎手に応えてか、ボス馬としての矜持がそうさせたのか、ヤマニンゼファー。ゴール前100mの地点ではセキテイリュウオーが前に出たようにも見えましたが、もう1回差し返しに掛かると、決勝点では「ハナ」だけ抑えていました。負かしたセキテイリュウオーの鞍上は田中勝春騎手。田中騎手のGI初制覇はヤマニンゼファーによる1992年の安田記念であり、1993年の天皇賞・秋はヤマニンゼファーの強さを知り尽くした騎手どうしの一騎討ちでもありました。
そうしてヤマニンゼファー、初挑戦となる2000mの距離を克服して、父ニホンピロウイナーが成し得なかった天皇賞優勝を遂げたのでした。30年経って振り返ってみても「受けて立つ競馬」であったと思います。番手先行から直線の入り口では既に先頭、最後の直線500mでも我慢して脚を伸ばし、最後はど根性を見せて「ハナ」差で勝ち切る。ヤマニンゼファー、強い!!
いやー、「1番好きな天皇賞・秋は?」と問われたら、やっぱり「ヤマニンゼファーが制した1993年の天皇賞・秋」と答えると改めて思った、自己満足の記事でございました^^;
それでは、これから走る馬、人すべてが無事でありますように。
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[ヤマニンゼファー(1988.5.27)の主な競走成績]
- 安田記念(GI)2回、天皇賞・秋(GI)、京王杯スプリングC(GII)
- スプリンターズS(GI)2回、マイラーズC(GII)、セントウルS(GIII)
- 京王杯スプリングC(GII)、クリスタルC(GIII)
通算20戦8勝、2着5回、3着2回。
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このサイトの管理人、「タイム差なしの好勝負を辿る」シリーズについて「天皇賞・秋はダイワメジャーで良いよね」と思っていたそうです。
ああ、ダイワメジャー(2001.4.8)とスウィフトカレント(2001.4.9)で決まった2006年の第134回も良い勝負やったからな。
ええ。でも、よくよく記録を確認してみたら「あ、半馬身差、0秒1差でタイム差があった」って、なったんですって。
おお、そうか。それはうっかり八兵衛やったな、管理人。
兄さん、我々馬なんですから「水戸黄門」はどうかと……。まま、それはともかく「ダイワメジャーについてはマイルチャンピオンシップに回す」ですって。
なるほど。ダイワメジャーも僅差の勝負に強い馬やったもんな。