ジェニュイン 牡 青鹿毛 1992.4.28生~2015.1.19没 千歳・社台フアーム生産 馬主・(有)社台レースホース 美浦・松山 康久厩舎
サンデーサイレンス 青鹿毛 1986.3.25 種付け時活性値:1.25【5】 |
★ Halo 黒鹿毛 1969.2.7 |
Hail to Reason 黒鹿毛 1958.4.18 |
Turn-to 1951 |
Nothirdchance 1948 | |||
Cosmah 鹿毛 1953.4.4 |
★Cosmic Bomb 1944 | ||
Almahmoud 1947.5.18 ♀ | |||
Wishing Well 鹿毛 1975.4.12 |
Understanding 栗毛 1963.2.17 |
★Promised Land 1954.3.31 | |
Pretty Ways 1953.3.21 | |||
Mountain Flower 鹿毛 1964.3.23 |
Montparnasse 1956 | ||
Edelweiss 1959.2.15 | |||
クルーピアレディー 栗毛 1983.3.20 仔受胎時活性値:2.00(0.00)【8】 |
What Luck 黒鹿毛 1967.4.24 種付け時活性値:1.75【15】 |
Bold Ruler 黒鹿毛 1954.4.6 |
Nasrullah 1940.3.2 |
Miss Disco 1944 | |||
Irish Jay 鹿毛 1957.4.17 |
Double Jay 1944.4.12 | ||
Irish Witch 1946 | |||
Question d’Argent 鹿毛 1977.1.27 仔受胎時活性値:1.25【5】 |
Tentam 黒鹿毛 1969.4.24 種付け時活性値:1.75【7】 |
Intentionally 1956.4.2 | |
Tamerett 1962.2.17 | |||
Cold Reply 栗毛 1972.1.25 仔受胎時活性値:1.00【4】 |
Northern Dancer 鹿毛 1961.5.27 種付け時活性値:0.50【10】 |
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Respond 鹿毛 1968.5.11 仔受胎時活性値:0.75【3】 |
<5代血統表内のクロス:なし>
父 | 母父 | 祖母父 | 曾祖母父 |
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サンデーサイレンス (Halo系) |
What Luck (Bold Ruler系) |
Tentam (Intent系) |
Northern Dancer (Nearctic系) |
形相の遺伝 | 料の遺伝 | 牝系 | 母の何番仔? |
What Luck | 5.00 or 3.00 (【8】+【5】+【4】+【3】) |
甥アサクサキングス (No. 4-g) |
2番仔 (2連産目) |
*
着 順 |
馬 番 |
馬名 | 性齢 | 騎手 | 走破 時計 |
着差 | 調教師 | 人 気 |
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1 | 6 | ジェニュイン | 牡3 | 岡部 幸雄 | 2:02.5 | 松山 康久 | 3 | |
2 | 7 | タヤスツヨシ | 牡3 | 小島 貞博 | 2:02.6 | クビ | 鶴留 明雄 | 4 |
3 | 8 | オートマチック | 牡3 | 加藤 和宏 | 2:02.9 | 2 | 藤原 敏文 | 11 |
4 | 17 | ホッカイルソー | 牡3 | 蛯名 正義 | 2:02.9 | ハナ | 田中 清隆 | 2 |
5 | 12 | イブキタモンヤグラ | 牡3 | 河内 洋 | 2:03.1 | 1・1/4 | 長浜 博之 | 7 |
1F毎の ラップ |
12.5 – 11.2 – 11.7 – 13.2 – 12.4 – 12.4 – 12.4 – 12.4 – 11.8 – 12.5 |
---|---|
ラップの 累計タイム |
12.5 – 23.7 – 35.4 – 48.6 – 1:01.0 – 1:13.4 – 1:25.8 – 1:38.2 – 1:50.0 – 2:02.5 |
上り | 4F 49.1 – 3F 36.7 |
ジェニュイン。弥生賞(GII)圧勝後に屈腱炎を発症したフジキセキ(1992.4.15)に代わり、皐月賞の主人公となったのは同じサンデーサイレンス産駒でした。青鹿毛の馬体に白いシャドーロールと桃色のバンテージ、赤の染め分け帽子に「黄、黒縦縞、袖青一本輪」の勝負服。印象的な出で立ちのジェニュイン、先行2番手からの抜け出しで軽やかに勝利し、父に種牡馬としてのクラシック初勝利をプレゼントしました。レースの2着には同じくサンデーサイレンス産駒のタヤスツヨシ(1992.4.26)。この後、幾度も繰り返される「サンデーサイレンス産駒のGIワンツーフィニッシュ」の始まりが、1995年の第55回皐月賞でした。
*
着 順 |
馬 番 |
馬名 | 性齢 | 騎手 | 走破 時計 |
着差 | 調教師 | 人 気 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 14 | ジェニュイン | 牡4 | 岡部 幸雄 | 1:33.8 | 松山 康久 | 1 | |
2 | 17 | ショウリノメガミ | 牝5 | 河内 洋 | 1:33.9 | 1/2 | 武 邦彦 | 8 |
3 | 3 | エイシンワシントン | 牡5 | 熊沢 重文 | 1:33.9 | クビ | 内藤 繁春 | 15 |
4 | 9 | ドージマムテキ | 牡6 | 村本 善之 | 1:34.0 | クビ | 森 秀行 | 10 |
5 | 8 | サクラスピードオー | 牡3 | 横山 典弘 | 1:34.0 | クビ | 境 勝太郎 | 9 |
1F毎の ラップ |
12.5 – 10.7 – 11.3 – 11.7 – 11.5 – 11.6 – 12.2 – 12.3 |
---|---|
ラップの 累計タイム |
12.5 – 23.2 – 34.5 – 46.2 – 57.7 – 1:09.3 – 1:21.5 – 1:33.8 |
上り | 4F 47.6 – 3F 36.1 |
第1回から第11回までは1番人気馬が必ず連対していて、「日本一堅いGIレース」として知られていたマイルチャンピオンシップ。しかし第12回、4番人気のトロットサンダー(1989.5.10)と16番人気のメイショウテゾロ(1992.4.25)で決着し、馬連配当104,390円という大万馬券でその神話も途切れてしまいました。そんなマイルチャンピオンシップの1996年の第13回、過去の実績からは圧倒的な1番人気に押されてもおかしくないジェニュインでしたが、前走の天皇賞・秋(GI)を14着と大敗してしまい、その負けっぷりはファンの疑心暗鬼を誘いました。しかし、周りの馬も強調材料に乏しく、結局はクラシックホースの金看板を背負った青鹿毛馬が、押し出されるようにして単勝4.9倍の1番人気となりました。
スタート。出脚よく飛び出たのは15番人気のエイシンワシントン(1991.5.5)。同馬の小気味良いピッチ走法が作り出したペースは、半マイル通過が46秒2、1000m通過が57秒7というマイルのGIレースらしい速いラップ。淀芝外回り1600mの淀みない流れの中、ジェニュインは外々を回りながら、前方集団の6~7番手に取り付いていました。直線。内に進路を取るエイシンワシントンが、軽快に脚を伸ばしました。そのまま逃げ切るかと思われたところに、白いシャドーロールに桃色のバンテージ、やはり目立つ出で立ちの青鹿毛馬が、しっかりとした脚色で外から伸びて来ました。ジェニュイン、岡部幸雄騎手のアクションに応えるように、四肢を伸ばしたストライドで駆けました。ゴール直前、最内を突いて8番人気のショウリノメガミ(1991.3.4)が猛然と追い込んできましたが、2分の1馬身差まで。
ジェニュイン、伊達に強い相手と競馬をしてきた訳ではありません。皐月賞馬が「格が違う」とばかりに、サスガの貫禄で1番人気に応えてみせたのでした。
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松山康久調教師が「これは」という逸材のために温めておいたという馬名「ジェニュイン」。師の期待に応えて、ジェニュインはGIレースを2勝しました。3歳時の皐月賞、そして4歳時のマイルチャンピオンシップ。サンデーサイレンス産駒の初年度産駒67頭からは5頭のGI馬が輩出されましたが、GI2勝を遂げた牡馬は実のところジェニュイン1頭だけ。ジェニュイン、「サンデーサイレンス旋風」の中心にいた馬だったのでした。青鹿毛の真っ黒な馬体よろしく、目元は涼しげ。首さしのスラッとした、流れるようなフォルム。気品に満ちた馬だったジュニュイン、「正真正銘の、本物の」という意味の英語の形容詞「genuine」に相応しいレースホースでした。
それでは、これから走る馬、人すべてが無事でありますように。
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[ジェニュイン(1992.4.28)の主な競走成績]
- 皐月賞(GI)、マイルチャンピオンシップ(GI)
- 東京優駿(GI)、安田記念(GI)、天皇賞・秋(GI)、中山記念(GII)、京王杯オータムH(GIII)
- 天皇賞・秋(GI)
通算21戦5勝、2着7回、3着1回。
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ジェニュインといえば、1995年の毎日王冠(GII)で一緒に走ったわ。スガノオージ(1991.3.18)が勝った雨の重馬場のレースで俺は5着、ジェニュインは6着。
兄さんの前の4着がサクラチトセオー(1990.5.11)さんだったんですよね。
そう。サクラチトセオーとジェニュインは、次走の天皇賞・秋で1着、2着やった。
むぅ。東京芝2000m、良馬場での勝負ならば、兄さんが割り込んでもおかしくなかったですね。
タラレバはノンノンやけれど、一緒に走りたかったなぁ。