フジヤマケンザン(Fujiyama Kenzan) 牡 鹿毛 1988.4.17生~2016.4.13没 早来・吉田牧場生産 馬主・藤本龍也氏 栗東・森秀行厩舎
★ ラツキーキヤスト 鹿毛 1979.5.20 種付け時活性値:0.00【8】 | マイスワロー 鹿毛 1968.2.22 | Le Levanstell 鹿毛 1957 | Le Lavandou 1944 |
Stella’s Sister 1950 | |||
Darrigle 鹿毛 1960 | Vilmoray 1950 | ||
Dollar Help 1952 | |||
タイプキヤスト 鹿毛 1966.4.10 | Prince John 栗毛 1953.4.6 | Princequillo 1940 | |
Not Afraid 1948 | |||
Journalette 鹿毛 1959.5.19 | Summer Tan 1952 | ||
Manzana 1948 | |||
ワカスズラン 鹿毛 1982.4.20 仔受胎時活性値:1.25【5】 | コントライト 鹿毛 1968.2.18 種付け時活性値:1.25【13】 | ★Never Say Die 栗毛 1951.3.26 | Nasrullah 1940.3.2 |
Singing Grass 1944 | |||
Penitence 黒鹿毛 1961 | ★Petition 1944 | ||
Bootless 1951 | |||
オキワカ 栗毛 1972.3.27 仔受胎時活性値:0.25【9】 | リマンド 栗毛 1965.2.16 種付け時活性値:1.50【6】 | Alcide 1955 | |
Admonish 1958 | |||
ワカクモ 鹿毛 1963.3.12 仔受胎時活性値:2.00【8】 | カバーラツプ二世 黒鹿毛 1952.3.9 種付け時活性値:0.50【10】 | ||
丘高(競走名クモワカ) 鹿毛 1948.5.2 仔受胎時活性値:1.50【14】 |
<5代血統表内のクロス:Count Fleet5×5(父方)>
父 | 母父 | 祖母父 | 曾祖母父 |
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★ラツキーキヤスト (Djebel系) | コントライト (Never Say Die系) | リマンド (Blandford系) | カバーラツプ二世 (Hyperion系) |
形相の遺伝 | 料の遺伝 | 牝系 | 母の何番仔? |
リマンド (Warning) | 5.00 (【5】+【9】+【8】+【14】) | 近親テンポイント (No. 3 星若系) | 1番仔 (生後直死後) |
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着 順 | 馬名 | 性齢 | 斤 量 | 騎手 | 走破時計 ・着差 | 調教師 | 人 気 |
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1 | フジヤマケンザン | 牡7 | 57.2 | 蛯名 正義 | 1.47.0 | 森 秀行 | 8 |
2 | Ventiquattrofogli | 牡5 | 57.2 | P Atkinson | 3/4 | Wallace Dollase | 7 |
3 | Jade Age | せん5 | 57.2 | Mick Kinane | 2 3/4 | D Oughton | 10 |
4 | Mr Vitality | せん4 | 57.2 | B Marcus | 1/2 | J Allan | 1 |
5 | Volochine | 牡4 | 57.2 | Thierry Jarnet | 1 1/2 | Robert Collet | 5 |
満7歳冬のフジヤマケンザン、香港挑戦における「三度目の正直」、成る。日本で生産された馬の、日本人スタッフ管理による、史上初めての海外国際重賞制覇を遂げました。1995年12月10日、第9回香港国際カップにおける快挙達成でした。フジヤマケンザンの鞍上は蛯名正義騎手、所属は栗東・森秀行厩舎、オーナーは藤本龍也氏、生産は早来・吉田牧場。まさに日本人の和が作り出した海外国際重賞制覇でした。
#なお、日本生産馬の海外重賞勝利ということでは、1959年のハクチカラ(1953.4.20)によるワシントンバースデーH以来、36年ぶりでした。このハクチカラによる勝利も、もちろん、大偉業。
開業当初から国際派として知られた森秀行調教師。フジヤマケンザンという馬の特性を見抜いた末の、シャティン芝1800mの香港国際カップ挑戦だったのでしょう。フジヤマケンザンは、現役時代に38戦12勝2着5回3着1回という強豪でしたが、その12勝の内訳を見ると
- 芝1800m:6勝
→香港国際カップ、中山記念(GII)、中日新聞杯(GIII)、富士S(当時OP)、BSNオープン(現BSN賞、OP)、吾妻小富士オープン(当時OP) - 芝2000m:4勝
→金鯱賞(GII)、七夕賞(GIII)、ディセンバーS(OP)、ジャニュアリーS(準OP) - 芝2200m:1勝
→嵯峨野特別(新馬勝ちから8ヶ月半ぶりかつ格上挑戦での勝利) - 芝1600m:1勝
→新馬
と、香港国際カップを含めて、芝1800mで6勝を挙げました。フジヤマケンザンの芝1800mの成績は[6-2-0-4]。60kgを背負った満8歳時の1996年の中山記念10着以外は5着を外さない安定した成績で、2着2回もサクラチトセオー(1990.5.11)と1回目の勝負となった1994年の中山記念、1分44秒8で駆けた1994年の毎日王冠(GII)と、レベルの高いGII戦でした。
特に香港では毎日王冠で計時した1分44秒8の走破時計が評価されていたようです。事実、フジヤマケンザンはシャティン芝1800mを1分47秒0のコースレコードで駆けたのでした。
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早来の名門、吉田牧場。吉田牧場にとっても、このフジヤマケンザンの血統は、威信を掛けたものだったのでしょう。
父ラッキーキャストは不出走馬でしたが、その父マイスワロー、その母タイプキャストは、共に吉田牧場が輸入した名血。かたやマイスワロー。ロベールパパン賞(現仏GII)、モルニ賞(現仏GI)、サラマンドル賞(旧仏GI)、グランクリテリウム(現ジャン・リュック・ラガルデール賞、仏GI)と仏2歳重賞を片っ端から制した名馬。こなたタイプキャスト。マンノウォーS(現米GI)、ロングビーチH(現ゲイムリーS、米GI)、ハリウッドパーク招待ターフH(現チャールズウィッティンガムメモリアルH、米GII)、サンタモニカH(現サンタモニカS、米GII)、ラスパルマスH(現ゴルディコヴァS、米GII)、サンセットH(現米GIII)、ミレイディH(現アドレイションS、米GIII)と重賞7勝を挙げた1972年エクリプス賞最優秀古馬牝馬。
そして母方は、下総御料牧場が輸入した星若(1924)を基礎繁殖とする3号族。フジヤマケンザンの高祖母丘高(競走名クモワカ)は、馬伝染性貧血の診断に伴う殺処分の命令から逃れた馬として、今も知られています。以下に、フジヤマケンザンのごく簡単な近親牝系図を示しておきます。
ワカクモ 1963.3.12 11勝 桜花賞(現GI) 小倉記念(現GIII)ほか |オキワカ 1972.3.27 6勝 中京記念(現GIII)3着 ||ワカテンザン 1979.4.13 3勝 きさらぎ賞(現GIII) 東京優駿(現GI)2着 皐月賞(現GI)2着ほか ||ワカオライデン 1981.4.25 13勝 朝日チャレンジC(現チャレンジC、GIII)ほか ||ワカスズラン 1982.4.20 0勝 |||フジヤマケンザン 1988.4.17 (本馬) 香港国際カップ 中山記念 金鯱賞 七夕賞 中日新聞杯ほか |テンポイント 1973.4.19 11勝 天皇賞・春(現GI) 有馬記念(現GI) 阪神3歳S(現阪神JF、GI)含む重賞8勝ほか |キングスポイント 1977.5.1 15勝 中山大障害2回 阪神障害S3回ほか |イチワカ 1978.5.11 0勝 ||キオイドリーム 1986.4.11 6勝 キャピタルS(OP) 札幌日刊スポーツ杯(OP)
大叔父テンポイント。杉本清アナウンサーの言を借りれば「アイドル」だった、眉目秀麗の栗毛の流星。もしかしたら、日本で最も愛され続けているサラブレッドかも知れません。
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現在に続く日本馬の海外攻勢。その先鞭をつけたのは、フジヤマケンザンによる1995年の香港国際カップ勝利であったように思います。
フジヤマケンザンの勝利が、「日本馬も海外で戦える」という思いを、日本のホースマンの心に根を下ろさせた。
海外遠征が当たり前のようになった、2016年の今だからこそ、彼のその活躍を声を大にして伝えたい。
フジヤマケンザン、ずっと語り継ぐべき、20世紀末のパイオニアでした。
それでは、これから走る馬、人すべてに幸多からんことを。
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[フジヤマケンザン(1988.4.17)の主な競走成績]
- 香港国際カップ(GII)、金鯱賞(GII)、中山記念(GII)、七夕賞(GIII)、中日新聞杯(GIII)
- 毎日王冠(GII)、中山記念(GII)、AJCC(GII)、関屋記念(GIII)
- 菊花賞(GI)
通算38戦12勝、2着6回、3着1回。
#2023年02月13日(月)記事改め。