カツラギエース(Katsuragi Ace) 牡 黒鹿毛 1980.4.24生~2000.7.3没 三石・片山専太郎氏生産 馬主・野出一三氏 栗東・土門一美厩舎
| ボイズイーボーイ 黒鹿毛 1965.6.4 種付け時活性値:1.50【14】  | 
King’s Troop 鹿毛 1957  | 
Princely Gift 鹿毛 1951  | 
Nasrullah 1940.3.2 | 
| Blue Gem 1943 | |||
| Equiria 鹿毛 1946  | 
Atout Maitre 1936 | ||
| Epona 1937 | |||
| Rising Hope 黒鹿毛 1951  | 
The Phoenix 鹿毛 1940  | 
Chateau Bouscaut 1927 | |
| Fille de Poete 1935 | |||
| Admirable 黒鹿毛 1942  | 
Nearco 1935.1.24 | ||
| Silvia 1927 | |||
| タニノベンチヤ 黒鹿毛 1971.2.15 仔受胎時活性値:2.00(0.00)【8】  | 
ヴエンチア 黒鹿毛 1957 種付け時活性値:1.25【13】  | 
Relic 青毛 1945  | 
War Relic 1938 | 
| Bridal Colors 1931 | |||
| Rose o’Lynn 鹿毛 1944  | 
Pherozshah 1934 | ||
| Rocklyn 1937 | |||
| アベイブリツジ 鹿毛 1958 仔受胎時活性値:1.00【12】  | 
Entente Cordiale 鹿毛 1951 種付け時活性値:1.50【6】  | 
Djebel 1937 | |
| Herringbone 1940 | |||
| British Railways 鹿毛 1949 仔受胎時活性値:2.00(0.00)【8】  | 
Umidwar 鹿毛 1931 種付け時活性値:0.25【17】  | 
||
| Euston 鹿毛 1938 仔受胎時活性値:0.50【10】  | 
<5代血統表内のクロス:Nearco4×5(父方)、Pharos5×5、Easton5×5(母方)>
| 父 | 母父 | 祖母父 | 曾祖母父 | 
|---|---|---|---|
| ボイズイーボーイ (Princely Gift系)  | 
ヴエンチア (Relic系)  | 
Entente Cordiale (Tourbillon系)  | 
Umidwar (Blandford系)  | 
| 形相の遺伝 | 料の遺伝 | 牝系 | 母の何番仔? | 
| ボイズイーボーイ | 5.50 or 3.50 or 1.50 (【8】+【12】+【8】+【10】)  | 
半妹ラビットボール (No. 14-c)  | 
5番仔 (5連産目)  | 
*
| 着 順  | 
馬 番  | 
馬名 | 性齢 | 騎手 | 走破 時計  | 
着差 | 調教師 | 人 気  | 
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 7 | カツラギエース | 牡4 | 西浦 勝一 | 2:12.4 | 土門 一美 | 1 | |
| 2 | 9 | スズカコバン | 牡4 | 村本 善之 | 2:12.6 | 1・1/4 | 小林 稔 | 5 | 
| 3 | 14 | グローバルダイナ | 牝4 | 南井 克巳 | 2:13.1 | 3 | 宇田 明彦 | 10 | 
| 4 | 3 | ミサキネバアー | 牡5 | 飯田 明弘 | 2:13.3 | 1・1/4 | 田中 四郎 | 7 | 
| 5 | 4 | ブルーギャラクシー | 牡4 | 武 邦彦 | 2:13.6 | 1・3/4 | 池江 泰郎 | 9 | 
阪神芝2200m、晴の良馬場、1頭取消して14頭立て。
年末の有馬記念(GI)同様にファン投票により出走馬が選出される、春の中距離王の決定戦である宝塚記念。日本中央競馬会のグレード制導入初年となった1984年の一戦を制したのは、単勝1.9倍の1番人気に応えたカツラギエース。現年齢表記3歳時にNHK杯、京都新聞杯とクラシックのトライアルレースを勝ったものの、本番では三冠馬となったミスターシービー(1980.4.7)に苦杯を舐めさせられたカツラギエース。明けた4歳は初戦の阪神芝2500mの鳴尾記念(GII)こそ4着だったものの、阪神芝2000mのサンケイ大阪杯(GII)1着、京都芝2000mの京阪杯(GIII)1着と重賞連勝を決めて臨んだのが宝塚記念。逃げたブルーギャラクシー(1980.3.16)の番手先行から推し進めると、平坦時代の阪神芝の直線では鞍上の西浦勝一騎手が後続を確かめつつ綽々と抜け出しに掛かり、最後は外からスズカコバン(1980.3.16)が迫りましたが脅かすまでは至らず。決勝点では1と4分の1馬身差を着けていたカツラギエース、重賞3連勝で春のグランプリ・宝塚記念を制して、見事GI馬まで上り詰めたのでした。
1984年の宝塚記念はカツラギエースとスズカコバンの1着、2着だった訳ですが、東高西低と目されていた時代に中距離で気を吐いた関西の強豪2騎による決着でした。同じ1980年生まれ世代であるカツラギエースとスズカコバンの直接対決を確認してみますと、
| レース名 | カツラギエース | スズカコバン | 2頭のタイム差 | 
|---|---|---|---|
| 第50回東京優駿 | 6着 | 10着 | 0秒8差 | 
| 第31回神戸新聞杯 | 2着 | 1着 | 0秒0差 | 
| 第31回京都新聞杯 | 1着 | 5着 | 1秒5差 | 
| 第37回鳴尾記念(GII) | 4着 | 2着 | 0秒1差 | 
| 第28回サンケイ大阪杯(GII) | 1着 | 3着 | 0秒4差 | 
| 第25回宝塚記念(GI) | 1着 | 2着 | 0秒2差 | 
| 第14回高松宮杯(GII) | 5着 | 2着 | 0秒3差 | 
| 第90回天皇賞・秋(GI) | 5着 | 7着 | 0秒3差 | 
8戦してカツラギエースが5回先着、スズカコバンが3回先着ではありますけれど、カツラギエースの独走となった京都新聞杯を除けば、僅差の勝負を演じていたのです。1980年代半ばの関西の中距離を牽引する存在であった同期生2頭、初めてのGI勝利は共に宝塚記念でした。

カツラギエースは↑のスズカコバンとの対決表でも一部見られるように、この宝塚記念の後に高松宮杯で5着、毎日王冠(GII)でミスターシービー等と鬼勝負で1着、天皇賞・秋で5着を経てジャパンカップ(GI)に向かうのですけれど、それはまた別のお話。
それでは、これから走る馬、人すべてが無事でありますように。
#カツラギエース、スズカコバン共に宝塚記念が1984年の4走目です。私が競馬を見始めた1990年代も前哨戦や数を多く使ってくれるGI馬、強豪馬はまだまだ多くいました。スターホースの走りを目の当たりに出来る機会が多かった頃、やはり幸せだったように感じます。時代が違うとは言え、ですね^^;
##カツラギエースは伝説の馬喰である佐藤伝二氏が見出した馬としても知られています。クライムカイザー(1973.5.22)、レオダーバン(1988.4.25)、A.P. Indy(1989.3.31)もそうですし、カツラギエースが所属した土門一美厩舎の後輩馬ではカツラギハイデン(1983.3.18)、オサイチジョージ(1986.4.13)もです。なんかですね、0の理論ユーザーとしてはクライムカイザー、カツラギエースあたりは、その配合から中島国治氏とのつながりも感じるところですm(_ _)m
  
  
  
  
